モロッコ旅行 6

miyatan2009-12-14

 今週から寒くなるらしい。。。

11月26日(木)
 まだ日も昇らぬ頃、サハラの日の出を見るためにテントを出発。本当に寒い。

 昨日と同じラクダに乗る。体調が悪いのだろうか、やたらよだれをたらしている。しかも前の人にかかるし。あらら。。。

 砂漠の風紋が美しい。あっちへ行ってもこっちへ行っても景色の変わらない砂丘地帯を、よくぞ迷わず歩けるなと思う。

 いよいよ中間点にたどり着いたからという頃、日が昇るから砂山に登る様に言われる。

 そしていよいよ日の出。幻想的。ちょっと不思議な光景。ツアーのメンバー達と、ちょっとふざけた写真を撮って楽しむ。

 ホテルで朝食を取り、いよいよ出発。しばらくしてから、マキコさんとホコさんと別れる。彼女達二人は、グランタクシーをチャーターしてフェズまで行くという。フェズまでおよそ6時間程度だとか。

 来た道を引き返すだけなので、行きと景色は同じで、かなり退屈である。こういう時に限って、全然眠れないし。マラケシュまで550km程度の道のり。東京〜大阪間にほぼ等しい、高速道路なんて無いけど。

 昼過ぎに、ちょっとした事件が起こる。なんとまあ、乗っていた車が接触事故を起こしてしまう。接触事故、といってもかすった程度だけど。運転手同士が話し合いを始め、警察が到着するのを待つというので、非常に焦る。一応マラケシュ着は19:30とは聞いているが、カサブランカ行きの最終列車は21:00発。

 何とか解決して、バスは走り出す。アトラス山脈越えの頃は既に日が暮れている。とにかく片側一車線の道なので、途中でのろい大型トラックがいると渋滞する。幅の広い見通しのいい場所で、加速性能のいい車が追い抜いていく、その繰り返しである。ベンツ号は比較的エンジンの性能がいいのか、乗客が多いにもかかわらずかなりの猛スピードで次々に車を抜いていく。運転は少し荒い。くねくねの峠道を、無数の車がヘッドライトをつけて走っている光景は、どこか幻想的である。

 とにかく焦る。ひたすら焦る。時計とにらめっこし、遠くに光が見えると、いよいよマラケシュかなと思いつつも、なかなかたどり着けない。

 20:30過ぎ、ようやくマラケシュに着く。スペインのお姉さま方は、ラテン流のサヨナラの挨拶で、頬にキスをしてくれる。でも、別れを惜しんでいる余裕も無く、内心焦る。

 近くのATMでお金を下ろし、タクシーを捕まえる。金額交渉をしている余裕も無く、ようやく乗ったと思ったら、なんとまあ先客がいた。どうも、マラケシュ駅とは反対方向に行っているっぽく、先客を下ろしてからもなかなか駅につけない。ようやくマラケシュ駅に到着、ダッシュで切符売り場でカサブランカ行きの切符を買い、列車に乗り込む。

 犠牲祭の前後でどうも帰省ラッシュに近い状態で、なかなか空いている席が無い。席が空いているかどうか英語で聞いてもなかなか通じないので、とりあえずこうなったらジェスチャーで勝負。ようやく空席を見つけて座る。モロッコの列車は、必ずといっていいほど検札が来る。

 四時間ほどでカサボワージュ駅に到着。マラケシュから200km強。大阪から東京までぶっ通しで一般道のバスに乗り、その後列車で福島県まで移動したのと同じくらいの距離の移動の一日。とにかく疲れた。モロッコの列車は意外と速い。

 市街まで行く気力も無く、駅の隣にある安宿「ホテル・テルミニュス」に行ったら、運良く最後の一部屋にありつけた。


11月27日(土)
 シャワーを浴びて、まだ夜も明けぬ中、ホテルを出発。駅のすぐ横のホテルって、本当に便利。

 空港に行き、朝食取ったり、お土産買ったりして、現地通貨を使い切る。思わず、ミントティーティーバックなども買ってしまう。多分地元のスーパーにいけば安く帰るんだろうなあと、時間が無かったことを後悔。

 10:40発のエールフランス2107便、パリ行きに乗る。パリでは乗り継ぎに五時間。がんばればパリ観光が出来ない時間でもなかったが、地図も持っていないし、前に行った事もあるので、あまり無理せずにやめた。空港で、アフリカ特集の英語の雑誌があって、アフリカの情報は日本にはあまり無いので、思わず買ってしまう。

 全日空206便。団体の観光客が多く、出発ゲートの前のお土産屋やらでたらたらしている人が多く、ゲートが混雑していますという理由で飛行機の出発が遅れる。迷惑な話である。まあいいけど。

 約12時間のフライト後、成田に到着。一週間ぶりの日本。でもいざ帰ってしまうと一週間ぶりという気がしない。横浜駅に用事があったので、京成→都営浅草線京浜急行の押上経由のルートで戻る。このルートは、横浜〜成田空港の移動では一番安いみたい。

 横浜のビックカメラで、B'zのニューアルバムとGReeeeNのベストアルバムを買って、というか溜まっていたポイントと引き換えに購入。

 なんかいざ終わってしまえば、あっという間のひと時である。大変なことも多かったけど、過ぎてしまえばいい思い出である。

 また次も、新たに旅に出たいなあと思う。

 (完)

モロッコ旅行 5

miyatan2009-12-13

 引き篭もりの一日でした。寒いの苦手。ずっとレンタルDVD見てました。

11月25日(水)
 今まで朝食が出るホテルには泊まっていなかったけど、今日のホテルは朝食つきである。パン、ジャム、バター、蜂蜜、コーヒー、オレンジジュース、辺りが多く、モロッコ風クレープが美味しい。薄いクレープで、バターや蜂蜜をつけて食べる遠いしいは美味しいけど、少し脂っこいのが残念。

 バスはやがて、オアシスの村に到着する。やはりここでも、殆どの建物が泥で作られている。比較的水量が豊富で、女性たちが川で洗濯に励んでいる。ナツメヤシやオリーブも栽培されている。

 建物の中に入ると、織物の製作の実演をしてくれて、ミントティーをくれた。ひたすらミントを入れたお茶に、砂糖をたくさん入れて飲むのがモロッコ式。ミントに砂糖、とか思ったけど、結構この組み合わせが美味しい。敷物の販売もやっていたけど、結局ツアー客は誰も買わなかった。とはいっても、ヨーロッパから買い付けにやってくる人は結構沢山いるみたい。

 トドラ渓谷近くのレストランで昼食。ヨーロッパのロッククライマーたちは、ここまで来て練習するらしい。100m以上はあろうかという岩山に挟まれて、川が流れる。本当に岩山にへばりつくように、登っている勇敢なクライマーがいた。二人のお姉さまと、マレーシアのおばちゃんの勢いに負けて、ついついベールを買ってしまう。50DH。勿論(!?)緑色の。買ってもらったお店で巻いてもらったけど、今ひとつ巻き方がわからない。多分、日本に帰ったら二度度自分で巻けないし、つける機会もないと思う。まあ、それはそれでいい思い出だけど。

 バスはメルズーガ砂丘を目指してひたすら走る。行けども行けども岩がごろごろした乾いた大地で、砂漠としてイメージしていた砂山はなかなか見られない。まあ、こんな乾いた大地が開墾できたら、近々起こりうる地球の食糧難も解決できるんだと思う。熱帯雨林とか下手に開拓して、良くわからない病原菌が出てくる危険性もあるので、熱帯雨林を伐採するよりは、砂漠を緑の大地にしたほうが地球環境にとってはいいことだと思う。一人一人の出来ることはそれほど大きくないけど、夢があっていいと思う。

 やがてバスは道なき道を走り出す。遠くに見えるのが、ようやく見えてきた砂漠らしい砂丘。こうやって見ると美しい。

 ホテルに着いて降ろされる。ここから砂丘のテントまでは、ラクダに乗って移動するらしい。大きい荷物はここにおいて置くので、ありったけの上着を持っていくように言われる。まだ日が出ていたから暖かかったけど、かなりの枚数の上着をリュックサックに詰め込む。

 いよいよ、出発。「ラクダに乗ったら楽だ」なんて、しょーもないギャグを予め考えていたけど、、、全然楽じゃない。毛布を背中に乗せてクッションのようにはしているけど、ゴトゴツした背骨が股間に当たって、とにかく痛い。ラクダは何組か連なって、ロープでつながれて隊列になって砂丘を進む。ベルベルのおじさんがラクダを叩いて声をかけると、鳴き声をあげてラクダは立ち上がる。上から写真を撮ろうにも、とにかく揺れるので大変である。ベルベルのおじさんが先導する。砂丘はとにかく滑りやすいので、よくこんな足場の悪い場所を何日も歩いていけるのか不思議である。大昔は、このサハラ砂漠を1ヶ月や二ヶ月も駆けて、隊商達は旅していたという。ラクダは水分が少なくても生きていける生き物なので、頼もしい。そういえば、メクネスの市場でラクダの生首がぶら下げられていて、ラクダの肉が売られていた。散々人間に酷使され、最後は食べられてしまう、なんか可哀想。。。

 一時間程度旅して、テントに到着。ラクダたちは一晩中、テントの近くの駐車場ならぬ駐ラクダ場につながれて過ごす。日が暮れると一気に冷え込む。空を見上げると、満天の星空。でも、オリオン座くらいしかわからないので、残念。砂丘は足元が悪いので、本当に歩くだけで苦労する。寝そべって星空を見上げると、日本でせかせかした毎日を過ごしていたのが嘘のような気分になってくる。

 近くのベルベル人の村の家族が作ったという、タジンが振舞われる。夜は、キャンプファイヤー。今回のツアーは、五カ国の人が集まっている。太鼓を叩きながら、ベルベル人の音楽の演奏。とにかくテンションの高いスペイン人のお姉さま方が、音楽にあわせて踊りだす。とても思い出深い夜になった。

 とにかく砂漠の夜は本当に寒い。靴下もスニーカー履いたまま、セーター着たまま、毛布二枚羽織って、それでも寒い。毛布に隙間が空かないようにして、ひたすら自分の体温で中を暖めて、ようやく眠る。砂漠の夜は、本当に静寂の中である。

モロッコ旅行 4

miyatan2009-12-12

 しばらく間は空きましたが、いよいよ後半戦です。

11月24日(火)
 まだ日も昇らぬ午前7時ごろ、ツアーバスは出発した。何気に、メルセデスベンツのバス。ツアー客は15人前後だろうか。カウントしていたわけではないが。そのうちの半分がスペイン人。中国系カナダ人の男性一人と女性二人がいる。どうもその女性が最年少っぽい、24歳。マレーシアの元気なおばちゃん、スーザン。日本人女性の二人組、マキコさんとホコさん、2人とも都内在住で都内で働いている、という36歳。そんなメンバーである。

 出発して間もない頃、スペイン人の女性たちが何度か入れ替わり立ち代り、気分が悪くなって急に外に出たりしている。大丈夫だろうか、ちょっと心配である。

 車はいよいよアトラス山脈越えに入る。とにかくすごいカーブの連続。崖の横を這うようにバスは進んでいく。箱根峠なんて目じゃないレベル。景色は素晴らしい。モロッコアトラス山脈を境に、北はアラブの世界、南はベルベル人の世界、といわれている。男性も頭を布で覆う、遊牧民、砂漠の民。

 アイト・ベン・ハッドゥに到着。世界遺産にも登録されている、クサル(要塞化された村)。川には踏み台のように石が置かれていて、そこの上を歩いていく。

 陸を削った、泥で出来た要塞のような村。実際にはもはや殆ど人は住んでいないようであるが、それにしてもよく保存されている。すぐそばに川が流れていることから、やはり人間はある程度まとまった水がある土地でないと生きれないんだなあと思う。

 昼食はワルザザートの街でとる。「OUARZAZATE」と書いてワルザザートと発音するのが少し不思議である。昼食をとったレストランの反対側には映画のテーマパークがあった。この辺りは、映画のロケ地としても有名である。世界中の映画関係者から注目されている。

 バスは乾いた土地をひたすら走り続ける。時折うとうとと眠る。この辺りの家々は、泥を乾燥させて出来た建物が殆どである。たまにレンガ造りの建物が見られる。雨が殆ど降らないのと、地震が起こらないからこそなせるんだろう。日本では絶対に出来ないだろう。時々小さい村をと通過する。人が集まっている所ではある程度まとまった商店もある。砂漠、といっても砂丘がどこまでの続いているわけではなく、大小の石がゴロゴロしていて、草は殆ど生育せず、川沿いにわずかに農地が広がる程度で、どうやって生活しているのかなあと不思議に思う。一応道路に沿って川が流れているので、生活は出来るのだとは思うが。

 ダデス渓谷にあるホテルに到着。ホテルのすぐ横が崖で、その下を川流れている。その崖のある側の壁に張り付くようにエアコンの室外機が取り付けてあり、この機械故障したら一巻の終わりだなあと、思ってしまう。

 日が暮れるととたんに寒くなる。夜は他のツアー客と色々と語り合いながら食事を楽しんだ。一日の殆どが移動時間で、バスの中でかなり寝ていたにもかかわらず、疲れが溜まっていたのですぐにねむりについた。

モロッコ旅行 3

miyatan2009-12-08

 三日連続旅行記更新、はさすがに疲れてきた。記憶が鮮明なうちに、とは思っているが。明日休もうかな。。。

11月23日(月)
 とりあえず、今泊まっている宿にそのまま延泊する事に決めた。交渉して、今よりも少し安い部屋、60DHのシングルの部屋に変更してもらった。ベッドは小さくなったけど、まあいいかなあと。

 友人に勧められていた、有名なホテルアリのツアーに申し込みをする。元々は一泊二日のつもりだったけど、なんかサハラ砂漠のもっと奥の方まで見たい、という欲が出てきて、結局にはく三日のツアーを申し込んだ。二泊三日で950DH。参加者の合計人数によって金額が代わるシステムらしいけど、運良く一番安い設定金額で参加することが出来た。

 有名なエル・ジャマ・フナ広場は、とにかく広い。そして活気がある。その場でオレンジを絞ってくれるオレンジジュースの屋台が多い。屋台の人がものすごくフレンドリーで、ついつい買ってしまう。冷えてはいないけど、絞りたてなので美味しい。

 とりあえず、街の奥のほうに歩いてみる。ここの町並みはやや新しいとはいえ、モロッコの古い町並みを訪れて感じることがある。日本は割りと、古い町並みをまとめて再開発の名の元に、別の街へと作り変えることが多い。モロッコの町並みは、古い町並みを修繕しながら、古くなった箇所を直しながらも、生き続けていると思う。街の構造は昔のありし日のままであり、時代に合わせて現代風へと生まれ変わっている。勿論現代風の新市街地も、元々市街地があった場所からは少し離れた土地のある場所には広がってはいるが。

 フェズで断念した皮なめし職人街「タンネリ」に行ってみる。途中でタンネリはこっちだよ、という人がいて、お金はいらないというから着いていってみる。途中から、ガイドっぽい人に交代。牛やヤギや羊の皮に、染色する作業。駱駝の皮もある。とにかく、においがすごい。強烈過ぎる。よくこんな場所で働けるなあと。でもなんかすごい光景。3Kの世界。でもこうやって革製品は作られるんだなあ、と思う。土産物屋につれられるが、あまり興味を引くものも無かったので、買うのをやめる。買い物をしなかった場合、10DH程度のチップを払うシステムになっている、とガイドブックに書いてあったので、その通りに払う。50DHくれ、とか言われたけど、とことん無視する。さっきここまで案内してくれた人が、やはりチップくれみたいなこと言ってきたけど、お金はいらないって初めに言っただろう、と突っぱねる。なあんか、こういうところがなあと思う。

 バヒア宮殿に入る。中はとにかく迷路のようで、本当に出口がわからなくてあせった。なぜか、自動車のドアだけを円形状に置いているオブジェがあった。不思議である。

 夕方になると、フナ広場はどこからともなく屋台がたくさん出てくる。オレンジジュースの屋台は、一部がグレープフルーツジュースに変わっていた。相変わらずフレンドリーである。

 とりあえず、色々とつまんでみる。一昨日フェズの街角で見た、バケツ一杯のカタツムリ。巨大な鍋に貝の煮込み料理のようにカタツムリの煮込み鍋料理が売られていた。味は、まあまあ。とりあえず、カタツムリと思って食べると食欲がなくなるので、貝だと思って食べる。あれだけの数のカタツムリ、どうやって養殖しているんだろうか。

 適当に呼ばれて入って、クスクスを注文。30DHと確かに書いてあった。トマトソースとパンが出される。クスクス、悲しいくらいにまずかった。普段は基本的に出された料理を残すことはまず無いんだけど、食べ残したのは本当に久しぶり。

 会計の段階で、50DHと言われる。納得いかない様子でいると、下手糞な英語でトマトソースが10DHで、パンが10DHとか言う。更にすると、40DHに下がる。本当はセットで10DHだったとか言うこと。今まで一度の付け合せのパンに料金を請求された事が無かったのに。頼んでもいないのに納得できないと、散々もめた挙句5DH割り引いて、35DHで決着する。それでも納得いかない部分は多いけど。そりゃまあ、日本円にしたらたいした金額じゃないかもしれないけど、性格的にそういうの許せないので。第一そうやって、不慣れな観光客に吹っかけて小銭を稼いでいるというのが、ハッキリ言ってむかつく。と同時に悲しくなってくる。モロッコも三日目。この国が持つ観光資源、風景と比較して、いまいち心の底から今回の旅を楽しんでいると言い切れないのは、間違いなくその国の「人」にあると思う。今まで行った国ではインド、ベトナムと並んでいると思う。

 とりあえず、26番の屋台には近づかないで下さい。全部の屋台に番号が振ってあるので。最も、場所が変わっていたらどうしようもないけど。このネタ、ガイドブックの投稿欄に本気で書き込もうかな。。。

 つかれきった心を癒すためにも、ハマムに入る。モロッコ式のお風呂。トルコ風呂とも似ている。とりあえずドーム状の蒸し風呂でパンツ一丁の状態で入り、うつ伏せになる。お兄さんが入ってきて、ごしごしと体中の垢を落としてくれる。反対向きになり、更にごしごしと。次はオイルマッサージ。モロッコでしか取れない、というアルガンオイルで全身エステ。気持ちよかった。先ほどの不快な気分が吹っ飛ぶかのようだった。

 明日からは、いよいよサハラ砂漠へと向かう。。。

モロッコ旅行 2

miyatan2009-12-07

 とりあえず、間髪を入れずに第二回目と。

11月22日(日)
 昨日いけなかった「タンネリ」だけでも見に行こうかなあ、とも思ったけど、色々考えた結果フェズの町に別れを告げることにする。元々の計画はフェズはもう半日観光する予定だったけど、もういいやという気分にもなってきた。

 とりあえず駅まで行って列車の時刻を調べて、切符を買う。途中の待ち、モロッコ三大古都の内の一つ、世界遺産の町でもあるメクネスに立ち寄ってから、夜遅くにマラケシュに行く事にする。

 朝食をとり、近くの市場を散歩する。魚、野菜、肉、豊富に並ぶ。さすがにイスラム圏なので豚肉は無かったけど。そういえば、日本でもモロッコ産の魚介類をよく見る。水産国でもある。こうやって見ると、食べ物の種類が豊富に見える。

 10:50の列車に乗り、11:29にメクネスアミール駅に到着。メクネスには駅が二つあるが、アミール駅が旧市街に近い。とはいっても一部の列車は通過するけど。もう一個の駅は全列車停車するみたい、こっちは新市街の中心部に近いらしい。

 とりあえず、駅周辺で着替えなどの大きい荷物を預かってくれるところがあるかどうか、聞いてみる。とはいっても、なさそう。駅の窓口で聞いたら、何人か聞いてようやく英語が通じる人が出てきたけど、見事に断られた。他に預けられるところ知らないか、と聞いてもそんなの俺の仕事ではないという態度。やたら声かけてきてチップを求めてたかる輩も正直うざいけど、自分の仕事さえしていればいいと、親切心のかけらも見られない事務的な態度もなんかなあという感じである。まあ、モロッコ国鉄」だから、仕方ない気もするけど。

 というわけで、丸々一週間分の着替えが入った大きいバッグを抱えたままメクネスの街を散策する、というちょっとクレイジーなことをやむを得ずすることに。

 とりあえず、ガイドブックの通りに駅前からバスに乗ったら、旧市街の中心部に着いた。北アフリカで最も美しい門、とされるマンスール門。道路を挟んで反対側にあるエディム広場で、昼食を取る。

 広場の裏側にある、市場を散策する。フェズよりも観光客は少ない、というか殆どいない。地元の人たちのための市場。ものすごい人ごみの中、香辛料や日常雑貨を売るお店が目立つ。裏路地に入ると、こちらも迷路のような町並み。それでもフェズよりは人通りが少ない。やたら、ホテルを探しているのかと聞かれる。まあ、巨大なバッグを持っていたら、聞かれるのはある程度当然だろうけどね。

 マンスール門は閉まっていたから王宮エリアには入れないのかなあ、と思っていたけど、よく見たらすぐ横の門から中に入れた。

 とりあえず、クベット・エル・キャティンという部屋みたいなところと、キリスト教徒の地下牢へと行く。かつては、異教徒であるキリスト教徒弾圧のために作られた牢で、最大で4万人が収容できたとか。穀物の倉庫とも使われたらしく、そうとも見える。

 ムーレイ・イスマイル廟は幾何学模様が美しいお墓。中の建物は、観光客もそれほど多くなく、ゆっくりと出来た。中にある噴水の音が、静寂の中で美しいメロディを奏でるかごとくで、癒される。

 外に出る。「風の道」と呼ばれる、どこまでも地平線の彼方までも続いているような道を、延々と歩く。角を曲がり、突き当りまで行くと今度も地下の巨大な穀物倉庫にぶつかった。厚い壁と中を流れる水路によって、年間気温が一定に保たれる仕組みである。昔の人の知恵はすごいなあ、と感心する。こちらも中は、キリスト教徒の地下牢と似たような構造。近くにある貯水池は、野鳥も飛び交い、ちょっとしたデートスポットにも見える。もっとも、中の水はあまり綺麗ではないらしいけど。

 とにかく、王宮付近を一周してマンスール門付近に戻り、駅まで戻る。17:29のマラケシュ行きに乗る。重い荷物を持ったまま半日歩き回ったので、疲れが溜まっているのかすぐにうとうとする。しばらくすると列車が停車して、周りの乗客がいなかった。と思っていたら車掌に起こされ、列車から降ろされた。直通だと思っていたら、乗継だった。

 カサブランカのカサボワージュ駅に着く。しばらく待って、マラケシュ行きの列車に乗り込む。まだ疲れているので、うとうとする。かなり長い時間寝ている気がする。終着駅のマラケシュ駅に着いた時点では、午前1時を回っていた。

 適当に駅周辺の宿を探そうかなあ、と適当にうろつく。タクシーの運転手に声をかけられる。既に先客が二人、もう一人乗れるからと声をかけたのか。まあいいやと乗り込む。とりあえず、旧市街の中心部、ジャマ・エル・フナ広場を目指してくれ、と言う。

 先客の二人は先に降りて、最後にたぶん広場の近くで降ろされる。あっちだとは言われるものの、正直良くわからない。重そうな荷物を持って歩いていたら、ホテルを探しているのかと聞かれる。そうだと答えると、どこのホテルだと聞かれる。特に決めていない、といったら、こっちだよと案内される。狭い路地を入っていくと、一見のホテルに案内される。半分寝ているオーナーを起こして、部屋が空いているかどうか聞いてくれた模様。夜も遅いし、まあいいかなあとそこのホテルに決める。特に今回はチップもせがまれなかったし、そこのホテルのスタッフーというわけでもなさそうだったので、きっとキャッシュバックでも貰っているんだろうなあと思う。一泊100DH。トイレシャワーは共同だったけど、まあいいかなあとそこに決める。

 列車の中で散々寝たのに、更に深い眠りに着く。やはり異国の旅は、自分が思っている以上に疲れるものなんだろう。

モロッコ旅行 1

miyatan2009-12-06

 とりあえず、例によって忘れないうちに書いておきます。

11月20日(金)
 朝は親に駅まで送ってもらう。7:20大船駅発の総武・横須賀線の成田空港行き。さすがに平日朝の通勤ラッシュの時間帯なので、電車運んでいて東京駅を過ぎるまで座れなかった。座っているうちに眠ってしまい、気づいたら成田空港駅全日空なので第一ターミナル。北総線の延長区間の高架は殆ど出来上がっていた。

 11:50の全日空205便パリ行き。出国手続きを済ませ登場を待っていると、まさかのまさかで整備遅れによる出発遅れ。全日空としたことがと少し呆れるが、どうせパリでの乗り継ぎ時間が長いので、まあいいいかなと。パリに行くであろう団体ツアー客が殆どである。

 約12時間後、飛行機はパリのシャルルドゴール空港に到着。さすがに少し寒い。第1ターミナルに到着。エールフランス航空は第2ターミナルのため、連絡バスによる移動が必要。とにかくわかりにくいの一言。元々五時間程度の乗り継ぎ時間だったので、のんびり移動したけど、これが移動時間が短かったらどうしようと焦る。

 21:05のエールフランス航空1690便、カサブランカムハンマド5世空港行き。うってかわって、殆どがフランス人で、日本人はたぶん他にいなかったと思う。

 飛行機に乗ってから、乗客が3名行方不明、とかわけわからないアナウンスが流れる。でも少し遅れながらも飛行機は離陸した。三時間くらいでモロッコに到着。ついにアフリカ大陸人生初上陸。でもなんか、あまり実感が無かった。外暗かったし、そんなもんかなと。

 入国手続きでは予め記入しておいた用紙に記入して提出したけど、特に何も言われなかった。ATMにて現地通貨をおろす。最近は、シティバンクの口座に予め日本で入金しておいて、現地で引き出すことが多い。カサブランカ市街地行きの最終列車が0:00発で、ギリギリ間に合うかどうかの時間なのでかなり焦る。空港駅の場所がこれまたわかりにくい。どうにか到着。

 30分ほどでカサブランカの玄関駅、カサボワージュ駅に到着。適当にタクシーを捕まえ、多分予約が取れているであろうホテルに向かう。地球の歩き方にも載っていた「ホテル・ウェッド・ダバブ」。場所がわかりにくかったけど、どうにか着いた。カサブランカの道路って、ガイドブックの地図を見ても、何でというくらいに迷路のように複雑である。それにしても、本当に英語が通じにくい。部屋に入った瞬間、ドアノブが壊れて閉じ込められかけたし。どうにか内線でフロントを呼び出し、応急措置でどうにかしたけど。日本時間を見ると、時差は9時間で、殆ど徹夜をした状態の時間である。



11月21日(土)
 ささっとシャワーだけ浴びてチェックアウトする。近くで朝食をとる。クロワッサンとオレンジジュースとカフェオレがセットで10DH。1DHが約12円という事を考えると、お買い得である。カサブランカはモロッコ一の大都会であるが、見るべきところも少ないので、ささっとフェズに行く予定である。

 とりあえず駅までのバスに乗って、カサボワージュ駅に到着。9:15のフェズ行きのチケットを買う。少しこぎれいな二階建て車両。列車はきちんと電化されていて、なおかつかなりスピードを出す。地元の人たちが多い。女性が頭をスカーフで覆っている人が多いのは、さすがイスラム圏である。

 昼過ぎにはフェズ駅に到着。目星をつけていた新市街にあるユースホステルであるが、とにかく場所がわかりにくい。どうにか到着するも、満杯なので他の宿を探す。二件目、歩き方にも載っている「ホテル・オリンピック」に決める。一応二つ星、まずまずの宿である。妙に天井が高くて、エアコン付。その分値は張って、300DH近くはした。

 とりあえず、昼食にはタジンを食べる。モロッコ風、洋風肉じゃがのようなものである。三角形のドーム上の屋根をしたような鍋で野菜や肉をスパイスとともに煮込む。調理すると野菜や肉に含まれる水分は蒸発するが、やがて鍋の蓋である三角形のドームの内側天井について下に落ちる。水を殆ど使わずに煮込み料理を使う方法がとられていて、水の便が悪いエリアならではの伝統の調理方法である。

 地図を片手に王宮があるフェズ・エル・ジェイド地区に向かう。王宮はとにかく警備が厳重で、写真を撮ろうとしても大声でノーとも言われた。

 旧市街、フェズ・エル・バリに到着。入り口のブー・ジュルード門の模様がとにかく綺麗。イスラム圏は、どういうわけか幾何学模様が多い。

 中に入るととにかく迷路みたい。道が狭くて、坂道も多い。地元の人々の日常の生活の場である。古い迷路のような町並みに、イオンショッピングセンターがあるかのような。洋服屋、食べ物屋、金細工屋、売っているものは伝統工芸品であったり、工業品であったりと。しかもロバが重い荷物を抱えたまま普通に歩いているし。今でも人々の日常生活にしっかりと根付いている。燃料使わなくてエコなんだけど、注意して歩かないと、しっかりとロバのお尻から糞が、排気ガスのように落ちてくるのでご注意下さい、と。道でも足元に注意しないと、しっかりとロバの糞が落ちているし。

 やたらと、「ジャパニーズ?」「こんにちは」なんて声をかけられる。まあ観光客が多い場所でもあるので、良くあることかな。でも観光客以上に、地元の住民で賑わっている様子。でも小さい子供とか、少年がちょこっと道案内して、すぐに高額のチップを要求してくるのには、正直疲れた。。。

 さすがに日が暮れると閉まるお店も多いが、それでもまだまだ人通りは絶えない。本当は皮なめし職人街である「タンネリ」に行きたかったが、場所は良くわからないし、日も暮れてきたのでやめておいた。それにしても、バケツ一杯に「カタツムリ」が入れられているのには驚いた。食用、らしい。貝を食べるように。

 入り口の横にあるレストランが、安くて美味しかった。とにかく一日で何キロ歩いたのだろうか、というくらいの距離を歩いた。足が棒のようになって来た。結局半日街歩きだけで、観光らしい観光はあまり出来なかったけど、遥か昔の町並みで今でも生活が根付いているのは、すごく不思議であり、魅惑的でもある。

モロッコから帰国

 事後報告ですが、先週土曜日に無事にモロッコから帰国しました。

 いつもは帰ってきてからすぐに帰国報告するんだけど、色々あって一週間空いてしまいました。。。まさか行方不明になったのでは、とまで思っていた方はさすがにいないとは思いますが。(^^;

 世界遺産メディナの町並みは、風情があって独特でありつつも、今でも現地の人達の生活の場でもあるので、非常に活気があってみていて楽しかったです。

 サハラ砂漠ツアーは、砂丘での夕日、朝日の美しさに感動しつつ、ベルベル人たちとふれあいの夜を過ごしたと同時に、人間の生活にいかに水が大切かを感じました。人間、水がない場所だと生活できませんね、本当に。途中の川、干上がっていましたよ。肌はかさかさになるし、唇はすぐ乾くし。

 それでも自分の中の位置づけで、去年のトルコ、一昨年の中東と比較してどうしても下のランクに行ってしまうのは、やはりモロッコ人に疲れたから、、、というのが一番大きいと思う。インド人、ベトナム人の次くらいに疲れた。。。

 食べ物は、タジンとクスクス、ばかり。タジンは栄養あってよさそうだけど、クスクスはそこまで好きになれなかった。。。名前がいいけど、クスクスって。

 今週一週間、普通に仕事。先週一週間アフリカ大陸にいたのがあたかも嘘のように。人事異動で直属の上司が変わり、転勤してきて以来一緒に仕事してきた先輩が異動になり、ここ一週間で明らかに仕事で自分にかかってくるプレッシャーが大きくなってきている。それを自分への期待の表れ、とポジティブに捉えればいいんだろうけど、やっぱりちょっと不安。

 なんか最近、妙に人恋しい。友人何人かに、近々会おうとか、飲みに行こうとか、メール色々送ったけど、果たして上手い具合に予定が合うかどうか。。。

 なんか、久々の日記なので色々と書いてしまった。今日は雨が降りそうなので出かける気もしないし。

 モロッコ旅日記は、そのうち書きます。