中東日記 5

miyatan2007-10-20

 中日優勝した。めちゃくちゃブルー。こうなったら、日本シリーズで日ハムが勝つことを祈るばかり。

 アド街で「横浜・野毛」特集をやっていた。

http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/071020/index.html
 
 最近あまり馴染みの無い街ばかりやっていたからあまり観ていなかったけど、久しぶりに食い入るように見た。去年の今頃は桜木町に住んでいて、紅葉坂の下の方なんだけど、最寄のスーパーマーケットが野毛にあったので、買い物というと野毛に行っていたので。でもその割にはトップ30のうちで、知っていたのは半分くらいだった。結局あまり外食しないので…。目の前をしょっちゅう通っているお店はかなり多かったけど。住んでいた所から17位のコテイベーカリーとか徒歩三分くらいだし、29位のビアバー ブーシェルに至っては、徒歩一分くらい。やっぱり、6位の「センターグリル」と「洋食キムラ」は、相当有名なんですよね。キムラのデミグラスソース、すごくおいしいし。あと、14位の「浜幸」の「馬鹿鍋」が美味しかった。でも鍋にしちゃうと、馬肉と鹿肉って、あまり食べても区別つかないんだけど。20位の「三幸苑」も何回か行った。タンメンが好きだった。「三陽」がベスト30にも入っていなかった事が、かなり意外だった。あんなにいつも賑わっているのに。
 やっぱり、桜木町界隈いいね。みなとみらいと野毛のギャップが素敵。よく週末の昼間になると、受験生と競馬オヤジがJR桜木町の改札から右側に行って、家族連れとカップルが左側に行く、なんてよく言われているし。ちなみに、来週は埼玉県の「大宮」特集。一歳になる前まで住んでいた町。赤ちゃんの頃だし、生まれてすぐに横浜に引っ越したので、全く記憶にないしほとんどわからないけど、なんとなく思い入れはある町。なんか、馴染みのある街が二週連続で特集されるのって、嬉しいです。


9月26日(水)
 エルサレム最終日。朝一番で、昨日まで行動を共にした三人と、同じようにヨルダンに戻る男性一人を見送る。何度も経験してきたこととはいえ、やはり寂しい。翌日私も一人でヨルダンに戻るので、乗り場を確認する意味でも見送る。一応、明日ペトラで落ち合う予定にはなっているが、無事に逢える事を願って別れを告げる。
 実はこの宿には、日本人女性スタッフが一名いる。あまりじっくりと話したわけではないが、こっちの大学に留学中で、パレスチナ問題を研究しているとか。アラビア語ヘブライ語もOKらしく、頼りになる。彼女に、テルアビブへの行き方を聞く。ダマスカス門近くにある宿から15分くらい歩いた所に乗り場があるそう。地図を片手に乗り場を探していたら、イスラエル軍の若い男子兵士に、
 「May I help you?」
と聞かれたので、念の為行き方を聞いたら、丁寧に教えてくれた。無事に着けた。なかなか親切で、ジェントルマンである。15人くらいが乗れるバンで、やはりここでも、満席になるまで出発しない。とはいっても、さすがに基幹路線、あっという間に満席になって出発。一時間くらい、ひたすら坂道を下る。やはり乾いた大地。片側三車線、かなり快適なロードである。
 テルアビブのバスターミナルに到着。どことなく、建物の内部は薄暗い。どういうわけか、建物の構造が複雑で、迷路のようである。有事や、テロに備えているのだろうか、よくわからないけど。エルサレムと比べると、暑い。観光地というわけでもないので、観光案内所も無ければ、いわゆる無料マップのようなものも配布されていない。正直な話し、どこに行けば何があるのかよくわからない。
 とりあえず、外に出てみる。中東にしては、アフリカ系(?)黒人が、やけに多い気がする。なんでだろう。。。どこかに行けば、何かあるだろうと思って、とりあえず歩いてみる。旧バスターミナル(?)を発見。旧なのか、二つあるのかはわからないけど、建物が無いバスターミナル。その横には、他の中東ではあまり見かけない、いわゆる「いかがわしい」お店が並んでいる。しかも、売春宿っぽいのも。太ったおばちゃんに声かけられたけど、怖くて逃げた。さすがにテルアビブあたりまで来ると、そうなってくるのかなあ。
 どことなく、アルゼンチンの街に似ている気も少しした。やはり、欧米の街にも似ている。ただ、ものすごい洗練されているわけでなく、どことなく猥雑さとか、底知れないパワーとか、そんなものを感じた。ただ、閉まっている建物が多くて、高層ビルが多いもののだだっ広くて、暑くて、なんとなく歩いているだけで疲れるような街だった。国際的にはイスラエルの首都として認められていて、一世紀前は何も無かった場所に、ユダヤ人が自分たちの都市を築いてできた街で、どことなくパワーはあるものの、観光客向けでないというか、そんな気はした。
 とりあえず、バスターミナルのマクドナルドに入る。監視カメラがあちこちについていて、セキュリティーが厳重。そしてそのバスターミナルに入るために、荷物検査とセキュリティーチェックがあって、とにかく警備が厳重。やむをえないといえばそうだろうけど、国民疲れそう。そして、セットが高かった。31シュケル。1US$=4シュケルなので、日本円に換算すると、900円くらいもする。
 「欧米か!」
と思わず言いたくなる。物価も欧米並み。町並みも欧米みたい。結局観光らしい観光をせずに、エルサレムに引き返す。ちょっとメランコリーな気分になる。まあでも、エルサレムに行って、ベツレヘムに行って、テルアビブを見たのであれば、イスラエルという国をちょっとでも実感できたと思う。視野が広がった、というか。そう考えることにしたい。明日は、ヨルダンに戻る。


9月27日(木)
 早朝にエルサレムを出発。同じ宿の人で一人、アンマンに戻る人がいた。バス乗り場でたまたま会って、その彼はいったん宿に戻って荷物を取りに行った。でもその間に、バスは満席になって出発してしまった。本当は、運転手に待ってもらうように伝えておいた方がよかったのかな、と少し後悔。でも、今日のできる限り早い時間帯にペトラに着きたい、という事情もあったので。国境を越えて、ヨルダンに再入国。と思ったら、その彼と国境で再会。ちょっと安心。彼と一緒に乗り合いバスに乗ろうとも思ったけど、空席が多くてなかなか埋まらない。彼は長期旅行者で、今日はアンマンに戻るだけだという。急いでいるので、バスは諦める。5ディナールでアンマン市街まで、さらにあと0.5US$で、特別にペトラ行きのバスターミナルまで送ってやると言われ、セルビスに乗り込む。いわゆる乗り合いタクシー。ところが、交渉した人と運転手が別の人で、運転手は面倒くさくなったのか、途中で降ろされて、ペトラ行きのバスが発着するワヒダットのムジャンマ・ジャヌープ行きのバスに乗れと案内される。5ディナールは払ったけど、そのバスの料金は向こうが持ってくれた。それにしてもかなりいい加減…。

 ペトラ行きのバスに乗り込む。なぜか助手席に案内されたが、もうこのバスの運転が荒いこと。かなり平気であおりまくるし、途中で追突しかける。ひたすら、ヨルダンの乾いた大地を走ること三時間。どこまで行ってもごつごつした岩山の砂漠地帯。ようやくついたワディ・ムーサの町。待ち合わせのバレンタインインいうホテルで、友と無事再会を果たす。夕食は、バイキング方式。相当気合が入っていて、半端でない食事の量。朝から何も食べていなかったので、ひたすらおかわりして食べる。とりあえず一部のメンバーには最後の晩という事で、近くのバーに飲みに行く。Yさんとなおみさん(kupuさん)とあゆ男さん。ユキコさんは、今日は独りで死海に行きたい、ということで別行動。さすがに今年の三月にもペトラに来ているので、遺跡二回目はさすがにお腹一杯らしい。前回一人で死海に行ったら、現地の女性と仲良くなれていい写真が撮れたので、今回も行ってみたいとの事。彼女が撮った写真を見せてもらった事もあるが、本当に写っている皆さんが笑顔でよく撮れている事。きっと彼女の温和で誠実な人柄の現われなんだろうな、と思う。Yさんとユキコさんは、翌日のカタール航空からアンマンに帰国予定。他のメンバーは飲んでいたけど、今回はアルコールは遠慮しておいた。ペトラビール、という地ビール(?)があった。

 明日は、また一人でペトラ遺跡をまわる。再会、とはいっても一瞬だったけど、本当に出会えた偶然に感謝。明日中にアンマンに戻ろう、と思ったけど、金曜日という事でアンマンに戻るバスが一便しかなく、土曜日の早朝にアンマンに戻ることにした。Yさんにお金を預けて、アンマンのクリフホテルのサーマル氏にお土産として死海石鹸を買ってきてもらうように頼んでもらう。チップも少し込めて。

 人間、出会いと別れを繰り返して、成長していくんだと思う。