越中五箇山・飛騨白川郷の旅 下

miyatan2008-05-05

 夕方日も暮れかかる頃に、白川郷に到着。富山県との県境を越えて岐阜県に入っていた。合掌造りの民宿「よきち」に宿泊。この合掌造りの民宿、とにかくインターネットで色々と調べて、片っ端から電話を掛けて、やっと予約が取れた。



 夕食は、飛騨牛の陶板焼き、岩魚の塩焼き、などなど他には山菜の和え物などが豪勢に出された。岩魚の塩焼きは美味しいが、塩が大量につけられているため、塩の塊をそれ単独で舐めるとかなりしょっぱい。すごく美味しかった。



 宿泊客は合計五組。囲炉裏端が食堂になっている。囲炉裏には火がつけられ、味噌汁が温められている。そのうちの二組が外国人という、インターナショナルぶり。たまたま隣の席の家族が、フランス人一家だった。夫婦と子供(女の子)二人。夫婦が二人とも日本語が堪能で驚いた。聞けば仕事の関係で五年間ほど、日本の福岡県に住んでいたとか。福岡県、といっても都市部ではなくて、筑豊地方らしい。さらに転勤になり、今はルーマニアに住んでいるとか。二週間の休暇で、京都と白川郷と東京と福岡を訪問する予定らしい。白川郷は、それだけ外国人にとってメジャーなようである。



 ちょっとだけ外を散歩する。白川郷の夜は早い。合掌造りの家の、二階や三階に明かりが灯り、幻想的である。



 各部屋は障子で区切られ、布団が既に敷かれていた。私が泊まった部屋は一応六畳はあった。コタツとストーブが置かれていた。夜は少し寒い。昼間は暖かいが、夜はまだ冷え込むのであろう。まあ構造上の難点なのかもしれないが、隣の部屋の物音が筒抜けで聞こえてしまう。話し声だけではなく、極端に言えばファスナーを開閉する音までも。まあ、こればかりは仕方ないのかなあ。



 夜の10時ごろに寝て、翌朝6時くらいに眼が覚める。極めて健康的な生活。外を散歩してみる。非常に清々しい朝。街を見下ろす丘に登る。展望台にもなっている。はるか遠くに聳え立つ飛騨の山々は、未だにその頂には雪が残る。早起きして散歩している自分が信じられないくらい、普段は夜型の生活になっている。人間、太陽が昇るとともに朝は起きて、日が沈み、夕食を食べたら眠りに着く、健康的だなあと思う。



 村の水路には、鯉が元気に泳いでいた。そのほか、水田には大量のおたまじゃくしも泳いでいた。おたまじゃくしを見たのも、かなり久しぶりである。まあうちの地元も、横浜市内、の割には少し行くと結構水田も残っているのではあるけど。



 朝食には朴葉味噌、が出された。これも美味しい。全体的に、現代の飽食の時代とは相反する、素朴で質素な食事で、自然の素材のよさを生かしているようで美味しかった。



 五箇山と比べると白川郷は、街の規模の大きく合掌造りの家の数も多い反面、団体の観光客が多くて少し騒々しくも感じた。でもなんか、よく話し声を聞いてみると、半分近くが日本語ではない。。。日本人よりも、外国人の観光客の方が多いかも。花は咲き乱れ、美しい。



 五箇山は、建物の内部は撮影不可能な場所が多かったが、白川郷は比較的撮影が出来た。ちなみに、合掌造りの屋根を内部から見ると、こんな感じになっている。



 公開している民家では、丁度合掌造りの屋根の吹き替え作業を行っている、ドキュメンタリー番組のビデオが流れていた。「結」と呼ばれる村の共同体。合掌造りの家々は、数十年に一度は屋根全体を葺き替えなければならない。その際に、近隣の村から屋根の材料となる「茅」をかき集め、村全体で一日がかりで葺き替える。村中の男性が集まっては吹き替え作業を主に担当し、女性はおむすび作りなどを担当する。とにかく一日がかりの大作業で、マスコミがこぞって取材に来るようである。終わった頃には、感謝の涙が溢れ、村人たちの結束が強まる、という伝統である。現代社会に欠けている習慣ともいえる。



 ちょっと観光地化されてしまったなあ、という印象もあるが、やはり合掌造りの建物自体、未来へ残したいものだと思った。都会での生活に慣れてしまうと、逆にこういう昔ながらの素朴な生活習慣は、新鮮に感じる。



 もう少し余裕を持ってスケジュールを組めば良かったな、と少し後悔。高岡から、特急「はくたか」に乗る。富山湾弁当、という駅弁を買って食べる。かの有名な、「ますのすし」を製造している「源」という会社で作られた弁当。800円の割りに、富山湾の海の幸尽くしでお買い得感があった。ホタルイカ白海老、ぶり、ます、などなど。



 特急はくたかは、新潟県境になると日本海沿いを走り、景色が美しい。親不知、という難所を通る。あまりにも険しい場所なので、親も子の事を構ってられない、知らない、子供も同様である、ということからついた地名とか。残念ながら、北陸自動車道がこの景色が台無しにしてしまっている。直江津を過ぎると、犀潟というところから北越急行という第三セクターの線路を通る。1997年に開通したばかりのローカル線であるが、とにかくこの区間を飛ばすこと。最高時速160kmとか。線路がほぼ一直線で、殆どトンネルで、踏切がないから、単線にもかかわらず飛ばしまくる。現在首都圏から北陸の富山、金沢に陸路で行こうとしたら、越後湯沢からこの北越急行経由の特急に乗るのが一番早い。このおかげで第三セクターのローカル線なのに、かなりぼろもうけしているようである。少なくとも北陸新幹線が開通するまでは。



 あっという間に越後湯沢に到着。着いて初めて気づいたけど、特急はくたかは、北越急行と、JRとで車両が違うみたい。赤を基調としたのが北越急行、白を基調としたのがJR。逆方向の、越後湯沢からのはくたかは、指定席はずっと満席の様子であった。ここから上越新幹線で帰ってもよかったけど、お金を節約するためにローカル線で帰ることにした。ついでにガーラ湯沢に行って戻ってきた。少しだけ新幹線の車両に乗れた。乗り継いで、結局大船駅に到着したのは夜の11時前くらい。あっという間だったけど、楽しい旅行だったと思う。