障害は個性

 なんか、すごくズシンと来る言葉だった。「障害は個性」って。

 事前情報で24時間テレビのSPEEDの復活ライブが16時からと聞いていたので、その時間にあわせて帰宅。前置きは長かったけど、実際に歌ったのは10分もなかったかな。懐かしいかつてのヒット曲のメドレー。懐かしいと思う半面中途半端な印象も受け、八年というブランクも同時に感じた。以前より動きがぎこちなくも、声量が落ちたようにも感じた。まあ、それだけ時間が空いたら、多少は仕方ないかな、というのが正直な印象。でもこれから先どういう風にブランクを取り戻して生まれ変わっていくのか、個人的に四人に注目したい。

 番組の中で、耳に障害を持つ今井絵里子の子供が取り上げられていた。生まれて数日後、耳に障害がある事を聞いて、すごくショックで人間ってここまで涙が出るもんだなと驚いたくらい泣いたらしく、その結果たどり着いた結論がこの言葉。「障害は個性」。母親の声は聞こえない、歌声を聞かせることもできない。それでもそう思って、手話を学んで、母子家庭になってしまったものの、必死に生きていく姿に感銘を受けた。

 その場面の前に、知能は正常だけど全身が麻痺状態という障害を持つ21歳の女性、病気で両目が殆ど目が見えないという15歳の女性が取り上げられていた。

 自分はそういう障害は特にないし、周りにもそういう人はあまりいないので、イメージできない面はある。ただ、そういう人達と接する機会は何度かあった。

 キリスト教系の中高らしく、そういう施設の人達を招いてのイベントも何度かあった。体育祭であれ、音楽会であれ。自分は直接参画する機会はなかったけど。家庭教師で障害を持つ子供のお守りの様なことをやったこともあれば、地元の聾学校のサマーキャンプに参加することもあった。

 その時に言われたのは、犬とか猫とか動物に接するように接するといいよ、というアドバイス

 人によっては違和感あるアドバイスだと思う。ただ冷静に考えてみれば、我が家は昔犬を飼っていたんだけど、犬や猫に対しては、人間の言葉が通じようが通じまいが、色々と話しかけていると思う。こっちにおいでとか、いい子いい子とか。それが通じているかどうかはわからないけど、気持ちは通じるものがあるんじゃないかと。特に脳などに障害を持った人の場合、そういう風に接した方がコミュニケーションが取れると思う。言葉は喋れなくても、あ〜とかう〜とかという言葉を発するだけでも、感情表現は何らかの形でしてくれるし。普段からそういう経験を沢山しているわけでもないけど、数少ない経験から学んだことだと思う。

 それゆえに、「障害は個性」という言葉はずっしりと来た。多様性を認めあい、相手との違いを認め、個性を認める。何らかの障害も「個性」であると認める事。大事だと思う。まあもっとも、認めただけではただの出発点にしかならないだろうけど、そういう出発点を見出すことは大事だな、と感じた。