アンデス日記 1

 アンデス日記を、何とか思い出せるうちに書きたいと思っています。連載形式の予定、一日に付き一日分が目標ですが、体力と気力次第。以前書いた日記と内容がかぶるorコピペもあるかもしれませんが。

 この週末は疲れがどっと出て、休息状態でした。イオン大日ショッピングセンターに、ぶらぶら買い物(何も買っていない)行ったくらいです。ここくらいしか行くところ近所にないかも。。。一応映画館も付いているし、見たい映画最近余りないけど。お金もないので、節約状態です。その後というか、帰国してから腹の具合が悪くて、一〜二日間断食状態でした。バレンタインデーも、本当に何もないですよ。ドキドキわくわくそわそわしたのって、小学校以来ないですね。。。

2月3日(土)
 毎年の恒例行事、長期休暇を頂いてのバックパッカー旅行。というわけで、南米のアンデス地方、ペルー・ボリビアに行って来ることに。ボリビアは過去に行こうとして、諸事情があって断念しただけに、長年の憧れの地。土日と祝日はさんで十日間なんだけど、実際に現地で過ごせる時間は限りなく短い。何を隠そう六泊十日、機中泊二日。飛行機三十時間近く乗るし。高山病が怖いのですが、それなりに対策は考えているつもり。過去にペルーのチチカカ湖畔で、高山病で倒れた経験があるので…。その対策として、インターネットで色々と検索しまくった結果、ダイヤモックスという薬が効くとか。とはいうものの、実際に医者に行って、かかってもいない薬の処方箋を書いてもらうのはかなりの至難の業であった。かなり無理やり裏業を使って書いてもらう。当然保険は下りないが…。しかも、副作用が出るという薬。更に副作用対策として、カリウム剤までも処方してもらう。予防策としては、オレンジジュースやバナナが利くそうなので、一応バナナは前日に予め近所のスーパーマーケットで仕入れておく。今回の飛行ルートは以下の通りである。


往路
07/02/03 NH 3112 伊丹(ITM)-成田(NRT)
07/02/03 AA 154 成田(NRT)-シカゴ(ORD)
07/02/03 AA 1904 シカゴ(ORD)-マイアミ(MIA)
07/02/03 AA 2111 マイアミ(MIA)-リマ(LIM) (02/04早朝着)
07/02/04 リマ(LIM)→フリアカ(JUL)
(ペルー国内線、現地で購入の予定、チチカカ湖畔の町プーノの最寄空港)

復路
07/02/10 AA 992 ラパス(LPB)-VVI-マイアミ(MIA)
07/02/11 AA 1344 マイアミ(MIA)-ダラス(DFW)
07/02/11 AA 175 ダラス(DFW)-成田(NRT) (02/12着)
07/02/12 NH 2179 成田(NRT)-伊丹(ITM)

 本来なら、普段愛用している全日空スターアライアンス系列で行きたかったが、日本からボリビアまで通しで飛んでいる航空会社は、アメリカン航空しかなかった。殆ど使っていないJALマイレージカードにマイル溜め込もうとしたら、格安なので、加算されないみたいなことを旅行会社に言われ、JALに問い合わせても、はっきりした答えを言わないので、今回は新しくアメリカン航空マイレージカードを作ることに。多分往復したら、国内線一回分くらいはマイルがたまりそうである。更に言えば、かつてはダラス線があったものの関空からアメリカン航空は今現在飛んでいなく、そのおかげもあってか伊丹→成田の国内線が無料でついてきた。伊丹までは近く関空までかなり遠いので、おかげさまでかなり助かった。マイレージ稼ぎにもなるし。

 というわけで、大阪モノレール伊丹空港に向かう。いつも使っている羽田行きのゲートではなく、ゲートからバスに乗ってIBEXの乗り場へ。乗り場に行って愕然。50人乗りのボンバルディア機はあまりにも小さく、天井には頭をぶつけそうで、これで本当に空を飛ぶのか不安になってくる。国際線接続とあってかなり外国人が多いものの、数名が遅刻したおかげで出発時刻も遅れる。スチュワーデスもひとりしか乗っていない。滑走路を飛び立つと、宝塚市上空からひたすら左に旋回して飛行機は東方向に。遠くから万博記念公園太陽の塔を確認できて、小型機のおかげか普段と違った車窓を楽しめて少し満足。一時間くらいで成田空港に着陸。成田空港で国際線を使ったのは、勿論はじめてである。ここでもゲートまでバスに乗り込む。第一ターミナルからアメリカン航空の第一ターミナルへ。

 最低限の荷物しか持って来ていなかった。今回はイーチケットなので、紙を見せると空港カウンターで航空券を発見してくれた。これはかなり便利である。航空券を無くしたらどうしよう、という恐れを持つことなく旅できるからである。出国手続き前の手荷物検査で引っかかってしまった。どうも、歯磨き粉や洗顔剤、シャンプーやリンスといった液体状のものが持ち込み禁止らしい。ここで捨ててください、といわれ途方にくれる。幸い出発までかなり時間に余裕があったので、カウンターにとんぼ返り、着替えなどが入っている大きなバックを預かってもらった。アメリカの航空会社は、液体状のものの持込が一切禁止なようで、テロ警戒への厳しさを感じてしまう。それでもかなり時間が余ったので、売店で立ち読み。。。

 19:00になり、飛行機はシカゴへと旅立つ。10時間以上の長旅である。小西真奈美主演の映画「UDON」をやっていてみていたが、途中で寝てしまった。三分の一くらいは寝ていた気がする。シカゴ上空は、一面雪で真っ白であった。とはいっても、日本ほど雪が積もっているわけではない、寒々しいが。やがて飛行機はシカゴオヘア空港に着陸、奇しくも、生まれて初めて海外に一人で行ったときに降り立った空港である。七年半ぶりである。とはいっても、未だにシカゴの市街地に行ったことはない。入国審査を済ませ、手荷物をいったん引き取る。モノレールに乗ってターミナル移動。外気-12℃ということもあり、非常に寒い。アメリカだから暖房が効いているのかと思っていたら、それ以上にターミナルの建物にガラスが多く、外の寒々とした空気が伝わってくる。予定よりかなり遅れてマイアミ行きが出発。マイアミは逆に気温が30℃近くあり、かなり蒸し暑い。本来マイアミで荷物をピックアップする必要はなかったが、よくわからず待ち続け、おかげさまで次の乗り換えはかなりギリギリに。それにしてもアメリカの空港は、セキュリティーが極めて厳重で、いちいち靴まで脱いで荷物検査を行う。かなり面倒くさい。そして飛行機はマイアミを旅立ち、リマへと向かう。。。


2月4日(日) 
 日も昇らない頃、予定より早く飛行機はリマのホルヘチャペス空港に着陸。ランペルー航空のフリアカ行きは、6:10の次が13:00、もしかしたら早朝の飛行機に間に合うかもと、期待を胸に膨らませる。早朝の割には、入国審査はすんなりと済んだ。手持ちのお金のうち50US$程度をペルーの通貨、ソルに両替。こういうときに限って、預けた荷物がなかなか出てこない。いらいらしつつ二十分以上待ち続け、ようやく出てきた荷物、紫色のスポーツバックを引ったるように運び去り、税関を通り抜けわけもわからないまま走り続ける。「アミーゴ、タクシー」というタクシーの運転手の勧誘もかいくぐり、国内線の乗り場にようやくたどり着いたものの、航空券乗り場は別のところ。ようやくチケット売り場にたどり着いたものの、6:10の飛行機には乗せてくれないとの事。一応二十分前だったが、少しショック。US100$をクレジットカードで支払う。もうちょっと安いと思っていたが、これも少しショック。七時間近く空港で待ちぼうけ。気を取り直して空港内を歩いていると、30くらいのおねえさんが話しかけてくる。ペルーで語学学校を探しているのか、と最初は言われたのだと思うが、事情を説明するとプーノでのホテルを手配してくれるとか。正直信用していいものかどうかかなり心配そうな顔をしていると、その不安を悟ったのか、首にかけている旅行会社のIDを見せてくれた。実際問題、ペルーに関しては、地球の歩き方を見ても、外務省のホームページを見ても、空港での偽ガイドという情報はなかったと思うので、まあ大丈夫なのかなと。半信半疑のまま、信じてみることに。

 それでもかなりの時間が余っている。朝食をとる。セビッチェを頼もうとしたが、朝早くのせいか品がないので、アンティクーチョデコラソンを頼むことに。以前ペルーに行ったときにも食べた、牛の心臓である。これが結構おいしい。他にも、ペルーの顔黄色のインカコーラも飲む。ペルーでは、コカコーラやペプシコーラよりもインカコーラの方が売り上げが高いそうである。リマの旧市街に行こうとも思ったが、先ほどのガイドに日曜の朝だから危険だからやめたほうがいいといわれて素直に納得。新市街ミラフローレスへ。太平洋の海岸をすっ飛ばすタクシーの窓から、心地よい風が入り込む。それでも信号待ちの間、車の間を縫うようにして子供が芸をしたり、窓ガラスに洗剤をかけて無理やり洗ったりしてお小遣いをせびったりする様子は、発展途上国特有のものであり、少し心が痛くなる。ラルコマールという、海岸の色々なオミセが集まっているスポットに行く。朝早いせいか、あまり人がいない。それでもガードマンが多い点では、比較的安心できる。その隣の恋人たちの公園にある、恋人たちの像がものすごい大胆。何を隠そう男と女が抱き合っている像で、日本人の感覚からすると子供の教育に悪いと真っ先に反対されそうだが、流石ラテンの世界と感心してしまう。そして、その周りたちにいる恋人たち、なんかすごく羨ましかった。リマは丁度海水浴のシーズンで、少なからずの人たちが泳いでいた。本来フンボルト海流の影響でこの辺の海は冷たいだろうけど、それでも日曜ということもありかなりの人手であった。

 リマの空港に戻り、クスコ経由フリアカ行きに乗る。リマを飛び立ちアンデスを越えること一時間近く、最初の目的地であるクスコに着陸。昔行っただけに懐かしい。赤茶色の屋根の建物が印象的である。しばらくした後、飛行機はクスコを旅立つ。何気にこの飛行機の行き先を聞くと、フリアカ経由、アレキパ経由、リマ行き。なんとまあ一周している。。。眼下にアンデスの荒野が広がる。高い木の生えない荒涼とした果てしない大地。しばらくして、飛行機はフリアカ空港に着陸。粗末な建物が一件あるだけの簡素な空港。それでも、「インカマンコカパック国際空港」という大袈裟な名前。ちなみに、マンコカパックというのはインカ帝国の最初の皇帝の名前である。

 とりあえず、空港で迎えの人が着ていたので安心する。一応高山病は今のところ大丈夫である。とはいっても、ダイヤモックスの副作用と思われる、軽い手足の痺れが始まってはいたが。車は荒涼としたアンデスの高原地帯を疾走する。途中、フリアカの中心部を通る。実際問題、あまり治安はよくないと聞いているものの、平和な雰囲気である。それでも、人口は二十万人くらいいるらしい。車は高原の一本道を駆け抜ける。やがて左手にチチカカ湖が見えてくる頃、何度も下り坂を下る。プーノの町に到着。ホテルに着く。町の中心・アルマス広場から一ブロック程度の距離である。中南米の町は、中心部に広場があり、それに教会が面していることが多い。

 本当は色々と行きたい場所もあったのだが、結局翌日はウロス島に行ってから、コパカバーナ経由で夕方ラパスに向かうことにした。駆け足旅行なのでやむをえない。マテで子かを飲んで一息つこうとすると、なぜか宿の姐さんが私がコカ茶を飲んでいるところの写真を撮りたいという。コカの葉はあの麻薬のコカインの原料であるが、葉っぱ自体をお茶にして飲むと高山病に効くという。

 夜は近くのレストランで、チチカカ湖のトゥルーチャ(マス)のセビッチェを食べた。いわゆるマリネのようなものであるが、以前ペルーで食べてからかなり虜になっている。最近、とはいっても去年くらいに、港南台のレッドロブスターで食べた記憶がある。広場で丁度お祭りをやっていたが、時差ぼけと長時間飛行で余りにも疲れ果てていたので、そのまま帰宅した。