アンデス日記 2

 長野へのスキーツアーバスが、吹田市大阪モノレールの支柱に激突した事故がマスコミに大きく取り上げられている。場所調べたら、大阪モノレール山田駅千里中央駅の丁度間くらい、割と近所だし、空港行くときによく通る場所だった。なんか事故に巻き込まれた人もそうだけど、唯一亡くなった運転手の弟の16歳の人もかなり可愛そう。家族経営の会社だろうけど、家族を失い、信頼を失い…。もっとも、安全管理の不十分さ、杜撰な管理体制には問題があるにしろ、競争激化のためだろうか。なんかいたたまれない気持ちになってくる。そりゃまあ利用者とすれば、安ければ安いほど助かるだろうけど、その影で犠牲になっているものを考えると、少し辛いところ。

 まあ、気を取り直して記憶の新しいうちに続きを書こうと思う。

2月5日(月)
 流石にかなり疲れがたまっていたので、朝はゆっくりと起きた。高山病は今のところ、大丈夫そうである。最も軽い手足の痺れは止まらないが。九時過ぎに、ツアーバスが迎えに来る。なぜか妙なくらいに、立派なバスに乗り込む。プーノの桟橋から、ボートに乗り込む。雨季と聞いていたわりには、空がどこまでも澄み渡っている。標高が高いこともあり、雲がかなり低い。目指すは、葦でできた島ウロス島。一応以前にも行った事があるが。揺られること三十分近くで、目的の島に着いた。色々な国の旅行者がツアーにいるようで、勿論日本人もいた。大学四年の女子大生二人組(大学どこかは聞きそびれた)、同じく四年生男性一人(明治学院大学)、民間企業辞めて四月から公務員の男性一人、といった顔ぶれである。
 チチカカ湖に生える葦の茎を切り取って、それを積み重ねて島を作る。底の方にたまっているのは次第に腐ってくるので、それを補う意味で新しく葦の茎を刈り取り重ねていく。島はスポンジのようにふかふかで、飛び跳ねると気持ちがいいくらいだ。自然の地から、人間の不思議さを感じる。どうして、こういう場所で、こういう生活を営もうと考えたのだろうか。文明から離れているようで、家を少しのぞくとなぜか少し年代が古いカラーテレビが映っていた。七年前に行ったときは、あったかなあ。。。手編みの工芸品が売られていた。
 これまた、葦で作られたトトラという船に乗って、他の島に向かった。こちらは手で漕ぐタイプ。都会の喧騒から離れ、文明の利器から離れ、何もない平和な湖で、ボーっと過ごす至福の時。
 プーノの町に戻る。ウロス島近辺とは違って、プーノ付近の湖面はかなり汚濁していて、少々がっかり。いったん宿に戻り、近くのレストランで、セビッチェとインカコーラを頼み、ペルーへの別れの食事とする。バスターミナルに行き、ボリビアのラパス行きのバスに乗り込む。窓側がよかったのに通路側でがっかり。道があまりきちんとしていないので、結構バスが揺れる。先ほどの女子大生二人組も、結局同じバスに乗ることに。樹木の生えない山肌、遠くにチチカカ湖を望みながら、時々見えるアドベレンガできた家々。アルパカやリャマといった家畜が、草をのんびりと食べている。そんなのんびりとした風景を見ながら、いつの間にかうとうとと。こうしているうちに、ボリビアの国境へ。ペルーを出国し、ボリビア入国時にパスポートのコピーを取って提出する。どうやら法律で決まっているらしい。やがて乗客の手続きが終わった頃、一ランク小さいバスに乗り換え、しばらくすると湖畔の町コパカバーナへ。太陽の島、月の島の最寄の町である。やがて日が暮れる。バスは峠道をひたすら上り下りしている。やがてバスを降ろされる。何かと思ったら、バスだけ渡し舟に乗って、対岸に向かっている。乗客は近くの船着場でチケットを買って、ボートで対岸に渡る。夜空を見上げると、満天の星が。オリオン座も確認できた。標高が高い分、辺りに遮る光がない分、天気がよかった分、星空が美しい。すべてを忘れるくらい。
 深夜11時近く、ラパスの町にたどり着く。バスターミナルに着くのかと思ったら、その近く。旅行会社の人に、ターミナルで案内する人が待っていると聞いていたので、あわててターミナルに向かう。行ってみたものの、広いターミナルではどの人だかわからず、もしも待ち続けていたら申し訳ないなと思って、町に向かう。中心部ムリリョ広場の脇の安宿に泊まる。夜中なのにやけに警官が多いと思っていたら、大統領府が近くにあった。結局夕食を食べ損なう。ラパスの町を囲むように山々が聳え立ち、その斜面に無数の家々が建っている。その銀色や金色に灯る明かりが、宝石をちりばめているかのようで、美しかった。