アンデス日記 3

 なんとも、死刑確定囚が昨日で戦後始めて百人突破だとか。宇都宮の宝石店(ジュエリーツツミ)放火強盗殺人事件、あれも嫌な事件でしたね。宝石奪って、店員(全員女性)を縛って、放火して、遺体は区別もつかないほどとか。申し訳ないけど、決して死刑廃止派ではないし、そういう話聞くと死刑廃止なんてとんでもないと思ってしまいますね。とはいっても実際問題、法務大臣はあまり自分ではサイン押したくないんでしょうね。最近、やたら死刑確定が多い気もしますね。それだけ凶悪犯罪が多いのでしょうか。。。

2月6日(火)
 当初の計画では、オルーロにバスで移動して、そこから週数便しかない鉄道に乗り込んで、ウユニまで行く予定であった。毎日毎日疲れる旅路なので、とりあえず朝はゆっくりと起きる。ラパスの町は、とにかく坂道が多い。すり鉢とはよく言ったものであるが、すり鉢にへばりつくように建物が立ち並んでいる。朝食を摂った後で、隣の旅行会社で相談に乗ってもらうが、どうやらオルーロからウユニへの鉄道チケットは売り切れている模様。どうしよう、困った。当初の計画が狂ってしまいそうである。とりあえず、オフィスで鉄道局の住所を教えてもらって、住所と地図を頼りにタクシーで事務所に向かう。そこで聞いてみても、答えは同じで本日分は満席だとか。こうなったら、夜行バスでウユニに向かうしかないのだろうか。高い標高、薄い空気、不十分なインフラ、極力夜行バスでの移動は避けたいのだが、やむをえない。
 バスターミナルに向かおうとしたものの、地図が不十分で少し迷ってしまう。とにかく坂道を登ったり下ったり、どこに行くにも勾配があるので、とにかく疲れること。ターミナルでは、競争の激しい路線ではとにかくバス会社の人が必死に呼び込みをしている。「コチャバンバ〜」、「ポトシ〜」、「サンタクルス〜」といった様子で。目立たないところにひっそりと、ウユニ行きのバスのチケット売り場があった。呼び込みをしていないということは、競争の激しい路線ではないのだろう。夜の7時に出発して、朝の8時くらいにウユニに到着との事。とりあえず、チケットを買って席を予約する。座席は、オンライン予約なんていう高度な技術のものはなく、その場で座席表を見せてもらい、空いている場所に自分の名前を記入するという極めてシンプルなもの。当然、というか窓側の席に名前を入れる。
 近くで昼食を摂る。豚肉をとにかく焦げるくらいまで揚げたものに、イモ類、トウモロコシ類が付いているセット。なんか、言っちゃ悪いがお世辞にもおいしそうではない。いったん宿に戻る。すぐ近くに大統領府があるので、ムリリョ広場周辺にはとにかくものすごい厳戒態勢で、車は進入禁止、警察だか国軍高よくわからないけど、厳重に道をふさいでいる。もっとも、ちょっと通りますよっといった感じで、割と簡単に通れたが。

 ハエン通りという、ちょっとこじゃれた町の一角に行く。博物館が立ち並んでいるが、長い昼休みの時間帯であった。スペイン語圏の国々は、シエスタといって昼食を食べた後で昼寝を習慣があり、一般的に昼休みが長い。どうも三時間くらいの間、博物館は閉館しているようである。近くにある、少ししゃれた感じの喫茶店に入る。それでも頼むのは、コカ茶。特においしい、というわけでもないが、高山病がとにかく怖いので、とにかく飲む。四軒くらいの博物館の共通チケットを購入する。外国人価格ということで少し高いが、それでも日本円に換算したら百円を切る。ボリビアの民族衣装を着た人形が並ぶ博物館。ディアブロといって、スペイン語で悪魔の意味だが、その仮面がなんとも迫力がある。黄金博物館では、インカ時代の金・銀細工が並ぶ。そこにミイラが展示されていて、少し怖かった。楽器博物館、世界中の楽器並びにアンデス特有の楽器が並ぶ。
 町の中心部、サンフランシスコ寺院の前の広場に、ものすごい人だかりがあった。詳細はわからないが、政府に対するデモ運動である模様。まあもっとも、こういう世界には余り足を踏み入れないほうがいいと判断して、早急に立ち去る。日常茶飯事なのだろうか、あまり緊迫感はなかった。
 時間があったら、もう少し色々と回りたかった。駆け足の旅なのでやむをえない。ウユニ行きの夜行バスに乗り込む。行き先は確認していなかったが、隣のバス乗り場にある豪華タイプの国際バスに比べて、ウユニ行きのバスは冷暖房も付いていないような、余りにも粗末なつくりで、かなり凹む。しかも預けた荷物はバスの下ではなくて、なんとまあ天井の上に預けられている。下の人が上の人に荷物を手渡して、最終的にはすべてを大きな水色のビニールで覆って、紐で何重にも縛りつけていた。途中で荷物が落ちたらどうしよう、ものすごく不安になる。などと思いつつ、バスはラパスの町を後にする。