アンデス日記 4

 ようやく待ちに待った週末。最近仕事は、会議、資料作り、調べ物の三本立てだなあ。今週は会議がなくて、資料作りは少しやったくらいで、後は殆ど調べ物。市場探索、ニュース集め。英語のホームページとか、読んでいると疲れる。。。英語版があるだけいいほうですよ。外に出たい。。。

2月7日(水)
 どれくらいの時がたったのだろうか。少しずつ日が昇ってくるようである。と同時に、ウユニへの道は険しい。どうも途中から道路が全く舗装されていないようで、バスの揺れること、揺れること。縦に揺れ、横に揺れ。。。窓ガラスに頭を少しぶつけた。バスの中は大地震状態。どこまでも荒涼とした大地、人家はまばらで、高い樹木は生えない。この世の果てのような光景が続く。バスの上に乗せられている、荷物が何かの弾みで落ちないか不安である。早く目的地について欲しい、この大地震状態のバスから早く逃げ去りたい、と思いつつも、どんな秘境なのかと心も弾む。
 少しずつ建物が増えた頃、ウユニの町に到着。ここは一体どんな町なのだろうか。人里離れたどころか、僻地中の僻地に、どんな人が住んでいるのだろうか。ここの人たちは、どんなものを食べているのだろうか。町や港から食べ物が輸送されるときは、物資が輸送されるときは、あのありえないくらいの荒れた道をひたすら走るのだろうか。不思議である。バスターミナルなんていうおおそれたものはなく、町の中心部にバスが止まる。ようやく開放されてかなりホッとする。バスを降りたと同時に、予想通りというか、ウユニツアーへの勧誘に囲まれる。正直な話、あまりに囲まれるので、どのツアー会社を信頼すべきなのか、よくわからない。こうなったら目があった人を信じるしかないと思う。おそらく、ボリビア人はありえない価格を吹っかけるような人には感じないので。正直に希望を伝える。日帰りツアーでと。更によく話を聞いてみると、夜の7時にウユニの町を出て、ポトシの町に行くバスがあるという。正直な話、ウユニからポトシへの移動で丸一日つぶれることを覚悟していたので、これはあたかも棚から落ちたぼた餅のような、嬉しい誤算だった。ツアーは大体、10時ごろから始まって、5時から6時くらいに終了するという。旅行会社に荷物を預けて、近くで朝食を摂る。一応観光客が集まる町なので、万国共通のような朝食セットが出る。パンに果物に飲み物といったような。それにしても、バナナはこの町に車でどんな旅をしているのだろうか、おそらくエクアドル辺りで収穫されたものが、船でチリの港に運ばれて、そこからアンデス山脈を越えて…。仕事柄、そういうことを想像するのが好きである。
 旅行会社の人が迎えに来て、4WDのトヨタの車に乗り込む。運転手を入れると合計八人。なぜか助手席に乗せてくれた。アルゼンチンの女性四人組、ブラジル人女性、関西外国語大学スペイン語を学び、エクアドルに留学中という男性と、私。まあ、ポルトガル語スペイン語なんて似たようなものだし、ガイドはもうスペイン語でしゃべると押すことに。流石に、100%は理解できないが、それなりにはわかるけど、英語の方が楽だったなあ。車はアンデス高原を疾走する。流石にウユニの町の近くは、道路は舗装されていた。どれくらいのスピードを出しているのかと思って、運転席のスピードメーターをのぞいたら、動いていない。どうやら故障中のようである。大丈夫だろうか…。
 最初の目的地、塩の採掘所に到着。あたり一面塩の大地。ぱっと見た感じ、雪が積もっているような光景である。近くの露店で、塩で作られた工芸品が売られている。灰皿、人形、など。塩で作られているのが信じられない。ものを買おうとすると、小さい女の子が器用な手さばきで、壊れないように一生懸命に包装してくれた。歳を聞いてみると六歳だという。こんな小さい子が偉いなあ、と思う一方で、こんな小さい子供に働かせるなんて、とも感じる。実際、どっちが実情にあっているのだろうか。
 ついにウユニ塩湖に突入である。雨季なので、もうちょっと水があると思ったらそうでない。車は湖の中に突入していく。かなり焦る。実際の水深、最大で50cm位だろうか。車は湖面に波打ちながら、進んでいく。少し行ったら、そこはまた再び乾いた大地であった。一面の白銀の世界、それは雪ではなく、塩の大地。なんか信じられない、夢のような光景である。塩のホテルに到着。本当に塩のホテルである。建物の壁も、周りにあるベンチも、建物の内部もすべてmade of salt。崩れ落ちないのが不思議である。壁をちょっとだけ舐めると、すごくしょっぱい。机を舐めてもしょっぱい。一度泊まってみたいけど、極めて過酷そうである。シャワーなんて当然ないし、どうもトイレは汲み取り式らしく、一日一回車が汲み取りに来ているようである。暖房もないし、寒くて寝れなさそう。塩のベッドは固そうだし。でも話しの種になることは間違えなし。
 再び車に乗る。それにしても、塩湖の照り返しが激しい。目がしょぼしょぼしてくる。サングラスを持ってくればよかったと、真面目に後悔する。まともに目を開けられない。流石に一時間くらい走り続けると、始めは新鮮だった一面の塩の大地も飽きてくる。目がしょぼしょぼしていて、眠くもなってきて、意識が朦朧としてきた頃に、島に到着。島というのも変だが。ここで昼食を摂ることに。呼ばれて食堂に入ると、五人くらいのメンバーに囲まれ、私以外なぜか全員アルゼンチン人。アルゼンチン人はボリビアが好きなのかなあ。私のアルゼンチン滞在時代は、現地の友人たちは、ボリビアのこと散々に馬鹿にしていたけど。ちなみに私以外のメンバーは一泊二日コースらしく、一泊コースの人たちはこの島のコテージで一泊するシステムのようである。ばたばたしているうちに六人と別れ、代わりに昨日から一泊二日コースに参加している、これまたアルゼンチンの女性二人組みと一緒になる。二人といっても、そのうちの一人はいかにも体調が悪そうで、ぐったりしていて、見ているほうが心配になってくる。もう一人は元気そうだけど。
 Isla de Pezという、スペイン語で「魚の島」に到着。やはり一人はものすごいだるそうで、車の中に残ることに。二人で、島に入ることに。入場料というものを取られる。10ボリビアーノ。二人で、とはいったものの、正直な話何からどう話せばいいのかわからず、ちょっと気まずい雰囲気。夥しいほどのサボテンが生えていて、ちょっと不思議な光景。とりあえず、山頂を目指す。少し険しい感じの山である。彼女に、依然アルゼンチンに滞在していたことを話してみる。その一言が聞いたのか、かなり打ち解けた雰囲気になれた。写真を撮ってあげたり、撮ってもらったり。挙句の果てには、二人仲良くツーショット写真も撮ってもらえた。名前はマリアさんというようである。苗字はクララで、マリアクララ、すごく響きがいい。学生をしながら仕事をしているようで、休暇で旅行に来ているよう。結構アルゼンチンは、そういう勤労学生みたいなのが多いみたい。年齢は聞かなかったけど、どうやら21歳。島に入るときに名前を書くのだが、そのときに国籍と年齢を書く欄があって、彼女が先に書いたのでたまたま知った。
 塩湖から引き上げて、最後の訪問地である通称「鉄道の墓場」に向かう。かつての蒸気機関車などの残骸が並んでいて、不思議な光景である。錆付いていて到底動きそうにないが、この世の果てのようなこの町に、溶け込んでいる光景でもある。機関車の上に上ってみる。なかなか危なかったけど、たいした高さでもなかったけど、童心に返ったようである。
 ウユニの町に戻り、近くで軽い夕食を取る。なんとまあ、ウロス島で一緒だった女子大生二人組とばったり再会。南米は広いようで狭い。そのほか数名の日本人で明日からウユニ湖ツアーに出かけるそうである。二人はラパス到着後、翌日朝一番のバスでオルーロに向かい、鉄道に乗ってウユニに到着したようである。彼女たちのほうが先にウユニには着いていたようであるが、私の方が先にツアーに行ってしまったようである。
 ポトシ行きのバスに乗る。夜行バスの疲れがたまっているのか、すぐにぐったりと寝てしまった。やがてポトシの町に着く。すでに夜中の一時。ここでもバスターミナルではなく、その近くで下ろされる。一体どこなのだか、不安が残る。そういう様子を見かねたのか、バス会社の人だろうか、よくわからないけど、自宅に帰るのにタクシーを捕まえて、そのついでにホテルを探してくれるとの事。わけもわからず乗って、二三分後、一見のホテルを見つけてくれて、結局そこに泊まることになった。