突然の訃報にショック…

 アサヒコムより引用

ZARD坂井泉水さん、闘病中の病院で転落死

http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY200705280107.html

 享年40歳。あまりに早すぎる死。正直一日中凹んでいた。勿論会ったこともなければ、本人を見たこともないけど、涙が出そうなほどショック…。アルバム何枚か持っているし。同じ日に松岡農相が自殺していて大騒ぎになっているが、こっちの方が余程ショックである。ちなみに二人とも、亡くなったのは信濃町慶應病院というも、不思議な縁である。もう少し大騒ぎになってもいいとも思えるけど、、、やはりこれくらいの時代の歌手は、すべての年齢層に受け入れられているわけでもなく、ある程度ファンとなる年代が限定されているからと思う。加えて、マスコミへの露出が極端に限られていたし。
 今でも殆ど邦楽J-POPばかり聞いていて、洋楽は余程の大ヒット曲か、映画やドラマの主題歌になった曲位しか知らないけど、自分が本格的に音楽に興味を持ち出したのは、90年代前半である。音楽鑑賞が好きで、部屋にいるとき、テレビ観たり、読書しているとき以外は殆どかけっぱなしといってもいいほどである。といっても殆どメジャーな曲しか聴かないので、あまり趣味は音楽鑑賞です、なんて口を大きくして言えないけど。そのおかげか、カラオケのレパートリーは多いように思える。上手いかどうかは別にして。そんなこんなで、自分にとっては、一番青春とも言える中学・高校生時代に一番輝いていた女性アーティストだっただけに、ショックは大きい。やっぱり、それくらいの時代に流行った音楽というのは、好き嫌いは別として原点のようなものでもあるし、一番記憶に残る音楽でもあり、同じ世代の人たちと盛り上がることができるつながっている証でもあるのだから。女性アーティストといえば、プリンセスプリンセスリンドバーグくらいしかいなかった時代。レコード会社の戦略的なタイアップ、プロデューサーの腕前もあったとしても、一つの時代を築いたことは確かであろう。ZARD他、B'z、WANDSDEENなどといったいわゆるBeing系の人気に翳りが出てきた頃、今度は小室哲哉プロデュースが流行りだした。
 高校の同級生とも、よくZARDの話で盛り上がった記憶が今でも鮮明に残る。高二、高三のときの担任のI先生が、ZARDの大ファンという噂もあった。本人に直接聞いたこともないし、真相は闇の中だけど。小学校から高校までヤマハエレクトーンをずっと習っていたけど、ZARDの曲を弾いたこともある。「Just believe in Love」というちょっとマイナーな曲だけど。ドラマ「揺れる想い」の主題歌だったらしい。「揺れる想い」という曲もあった、確かポカリスエットのCMの曲である。いまさっき、ネットでDiscography見ていたけど、2000年代に入ると曲の名前を聞いても思い出せないものも出てくるけど、90年代はデビューしたての初期を除けばはっきりとメロディーが思い出せるものが多い。さすがに最近は人気に翳りが出てきたけど、少なくとも中高時代男子校だった自分にとっては、「憧れのお姉さま」的な存在でもあったし、年を重ねても歳を感じさせない人だったと思う。プロモーションビデオではやたらとTシャツにジーンズのようなラフな格好が多かった。一度だけテレビで観た記憶がある。確か「負けないで」を歌っていたときで、ミュージックステーションだったと思う。地元神奈川県の高額納税者で名前が出ていたと思う。平塚税務署が担当で、確か神奈川県秦野市だった記憶がある。
 しばらくはショックが残りそう。何はともあれ、ご冥福をお祈りします。