昨日中東から帰国しました

miyatan2007-10-02

 一日遅れですが、昨日何とか無事に中東から帰国。カタール航空はほぼ定刻どおりに関空に到着。昨日は色々しているうちに、疲れていたので10時過ぎに寝たんだけど、夜中の二時半くらいに目が覚めて、そこから一睡もできず。まさに時差ぼけ。それでも何とか頑張って出社。ひたすら睡魔と格闘し続ける一日だった。眠いよ…。
 きちんとした旅行記はまた時間のあるときにでも改めて書くとして、これまでの流れをざっと振り返ってみる。木曜日、早朝にエルサレムを出発。国境を越えて、ヨルダンに再入国。5ディナールでアンマン市街まで、さらにあと0.5US$で、特別にペトラ行きのバスターミナルまで送ってやると言われ、セルビスに乗り込む。いわゆる乗り合いタクシー。ところが、交渉した人と運転手が別の人で、運転手は面倒くさくなったのか、途中で降ろされて、ペトラ行きのバスが発着するワヒダットのムジャンマ・ジャヌープ行きのバスに乗れと案内される。5ディナールは払ったけど、そのバスの料金は向こうが持ってくれた。それにしてもかなりいい加減…。
 ペトラ行きのバスに乗り込む。なぜか助手席に案内されたが、もうこのバスの運転が荒いこと。かなり平気であおりまくるし、途中で追突しかける。ひたすら、ヨルダンの乾いた大地を走ること三時間。どこまで行ってもごつごつした岩山の砂漠地帯。ようやくついたワディ・ムーサの町。待ち合わせのバレンタインインいうホテルで、友と無事再会を果たす。とりあえず一部のメンバーには最後の晩という事で、近くのバーにのみに行く。とはいっても、私はアルコールは飲まなかったけど。
 翌日、ペトラ遺跡に行く。一人で回ることに。入場料21ディナール。日本円にしても3500円以上という、かなりありえないくらい高い入場料。ヨルダンで最初に世界遺産に指定された、紀元前のナバタイ人によって築かれた街。岩山が削られ、彫られ、大きな宮殿や王家の墓が立ち並ぶ。なんとまあ壮絶な風景。インディージョーンズの最後の聖戦の舞台になったところ、らしい。マチュピチュ、までは行かなかったけど、かなり感動する風景。険しい谷間の道を通り抜けるとエル・ハズネという神殿風の霊廟へ。幅30メートル、高さ43メートル。更に歩いていくと、ローマ円形劇場、凱旋門、柱廊、などなど。更に険しい山道を抜けると、エド・ディルと呼ばれる修道院跡。下から見るとすごい迫力。こちらは高さ45メートル。言葉では言い尽くせない、壮大さ。
 翌日、アンマンに戻る。また旅の友と再会。でも、いないはずの友が一人…。どうも、昨日飛行機に乗り遅れたらしい。クリフホテルに行く。サーメル氏と再会。頼んでおいた死海の石鹸と泥パックを受け取る。その日、29日がクリフホテル卒業の日の事。翌日からは、通りを挟んで反対側にあるマンスールホテル(コーダホテル)、に念願かなって移籍との事。晴れて卒業姿を見ることができた。コーダホテルの由来は、何を隠そうあのイラクで殺害された香田証生氏に由来している。直接その話は本人とはしなかったが、宿においてある情報ノートを読む限り、サーメル氏は自分があの時本当に必死になって、香田氏のバクダッド行きを止めていたら、彼は命を落とさずに済んだのに、と言う相当後悔の念に苦しんでいたと言う。元々サーメル氏は親切な人で、旅人の味方と数多くのバックパッカーに愛されてきたが、特に日本人に対して優しいのは、香田氏に対する懺悔の気持ちがあるからではなかろうか、と言われている。
 お土産を買い漁って、アンマンの空港へ。エミレーツ組の友と別れ、一人ドーハ行きのカタール航空のカウンターへ。アンマンからドーハに飛ぶと、ひたすらサウジアラビアの上空を通り、ひたすら眼下は砂漠がこれでもかというくらいに広がっていた。ドーハの空港は、日が暮れていたにもかかわらず、むっとするほど蒸し暑かった。予約してある、ユースホステルにタクシーで向かう。かなり郊外にあった。一泊と朝食つきで30US$。これでも、カタール国内では破格の値段だと言う。一応何気にユースホステルの会員証も持っていたので、割引付だったけど。アンマンやエルサレムの宿と違って、日本人どころか宿泊客の影すら見なかった。まあ、中東産油国は、バックパッカー、特に長期旅行者には縁がない場所なのであろう。
 荷物を置いて、ドーハの市街地に繰り出す。ラマダン中だけど、とにかく死ぬほど暑い。湿気もかなりある。日中は、地元カタール人は外に出歩かないのかもしれない。町で見かけるのは、インド系かパキスタン系、とにかくアジア諸国から出稼ぎできたであろう男たちばかりである。バスに乗っても、バスターミナルに行っても、地元系と思われる人はいなくて、出稼ぎ風の男たちばかり見かける。さすがに石油と天然ガスで潤っている、国民平均GDPが4万ドルを越える国である。(←日本よりも高い) 秋田県と同じくらいの面積に、佐賀県の人口と同じくらいの86万人が暮らす国。(ちなみに、秋田県は一応人口百万人を越えています) ラマダン中で、売店で買ったコカコーラ外で飲んでいたら、見つからないように隠れて飲むように注意された。それくらいイスラム教は徹底されている。例によって、黒いベールで目の周り以外を包み隠しているような女性も多かった。真っ白なアラブ服の男性も多かった。アラブ系の人は、人に仕事をさせるのが仕事、という感じであった。それくらい海外からの労働者に依存している。
 海沿いの道を散歩する。なんとなく、海を見るとホッとする。潮風が心地よい。海沿いの道を散歩する。途中に、2006年アジア競技大会のマスコットになった、アラビアオリックスのOrryの像があった。中東最大ともいわれるシティーセンターというショッピングセンターに行く。すぐ隣に更に豪華ホテルが建設中で、更にその周囲は、バブルを彷彿させるくらいの、一大建設ラッシュ。中東産油国は、相当好景気なのだろうか。これで、石油や天然ガスが枯渇したらこの国はどうなってしまうのだろうかと、別の意味で心配になってくる。響き渡る工事の音。燦々と照り行く太陽。とてつもないエネルギーを感じる。
 夜中、ドーハの空港から日本に帰ろうとする。なぜか、空港はインド系、パキスタン系、らしき人ばかりである。まあ、丁度デリー行きとか、イスラマバード行きとも重なっていたこともあるけど。しかも空港カウンターで、巨大なテレビなどの電化製品を預けようとする人がありえないくらい多くて、かなり待たされた。
 三ヶ国回ったけど、カルチャーショックを受けるくらいの違い。ヨルダンは、街中で写真を撮っていても、通りがかりの人から「ウェルカム」といわれて、心地よかった。三ヶ国の中では圧倒的に貧しいが、あまり貧しさを感じない国。底知れぬエネルギーを感じる。イスラエルは、先進国といった雰囲気。かなりヨーロッパ的。エルサレムの不思議な雰囲気が好き。とはいっても、ご存知の通り色々と問題を抱える国でもある…。カタールは、地味ながらも相当豊かな国。観光資源に乏しく、街中で一人も日本人に会わなかったどころか、観光客らしい人にも会わず、見かける人はアジア系の出稼ぎ労働者ばかり。かなりイスラム教が徹底されている。空港の手洗い場で、手足を清めてお祈りに備える人が多かったし。
 中東、別に危険ではなかったと思った。イスラムの戒律が厳しい分、犯罪発生率は低いし。テロとかの危険なイメージが強いけど、とりあえず今の時点では落ち着いているし。それよりも、一番怖いのは交通事故。今までの人生の中で、目の前で交通事故を見たのは四回。そのうちの二回がこの旅行中。かなりの確率。ドーハの街中で、追突してトランクのドアがそれこそくの字型に曲がった瞬間見たし…。
 なにより、色々な人と出会えてよかった。ヨルダンとかイスラエルとかに行く人となると、ある意味つわものが多いけど、それゆえに途中で知り合った人にいい人が多くて、楽しかった。一年近く放浪している人とも、一週間近い休みで駆け足で回る人とも、すぐに仲良くなれたし。

 なんか簡単にまとめるつもりが、かなり長くなってしまった…。またおいおい旅日記は公開していきますので、機会があれば是非とも読んでください。