中東日記 1

miyatan2007-10-14

 気づいたら、一歩も外に出ていない不健康な週末。まあもっとも、旅行に行ったり、実家に帰ったりで、かなり金欠だったので、しばらくはおとなしくしていようと思っているけど。アメリカに国際電話で一時間以上話していたけど、よく考えてみたら今使っているIP電話だとアメリカへの国際電話が一分間で7.5円らしく、国内電話が8.4円らしいので、アメリカにかけたほうが電話代が安いらしい。不思議だ…。
 そういえば、今日は鉄道の日ですよね。大阪と鹿児島が、四年後に新幹線でつながるらしい。正確に言えば、新大阪と鹿児島中央だが。ついに、という感じである。

2007年
9月21日 (金)
 仕事が終わって、速攻部屋に戻る。あわてて風呂に入り、食事をして、もともと荷造り自体は予め済ませておいたので、大急ぎで出発。モノレールと地下鉄谷町線を乗り継いで守口駅へ、そこから数分歩いて京阪守口市駅まで行き、そこから空港バスに飛び乗る。バスはまもなく国道一号線を走り、松下本社前を通り、大東鶴見インターから近畿自動車道に入る。片側三車線あるし、大阪中心部を迂回しているし、時間も時間なのでかなりすいていた。堺から泉大津を経由して阪神高速湾岸線に入り、一時間くらいで関空に到着。遠い遠いと思っていた関空も、こうやって見ると意外と近かった。カタール航空のカウンターでチェックイン。出国手続きを済ませて、ゲートに向かう。時既に十時。カタール航空のドーハ行き。人影もまばらな関西国際空港関空から海外行くのって、六年前の台湾以来かな。大阪の中心部から遠いってもっぱら不評らしいけど、それでも成田空港の遠さに比べたら、だいぶましだと思う。この時間帯に関西空港を出発するのは、エミレーツ航空のドバイ行きと、タイ航空のバンコク行きと、カタール航空のドーハ行きのみである。高い屋根、豪華なガラス張りの建物と、人影のまばらさが、不思議なるハーモニーを奏でているようにも感じた。
 23時半近くになって、搭乗開始の放送。隣のゲートに全日空のパンダをあしらった航空機があったので、思わずシャッターを押す。カタール航空の機内は、赤色を基調とした彩。各席にアメニティーグッズが置かれていたり、夜間の運航ということもあり、睡眠中でも食事のときは起こして下さい、免税品のときは起こしてください、といった意思表示をするシールが配布され、座席の上くらいに張るような仕組みになっている。他にも料理のメニュー表に、「この料理はイスラムの教えにのっとって作られています」といった表示がされていて、随所に見られる配慮が心地よかった。まもなく飛行機は離陸する。予め買っておいた、イスラム教やパレスチナ問題を取り扱った本を読みながら、眠りにつく。目が覚める頃には、生まれて初めての中東である。どんな世界が広がっているのかな。。。


9月22日 (土)
 遥か彼方に光が灯っている。照らし出しているのは、荒涼とした大地。眠い目をこすりながらも、いよいよアラビアの大地に足を踏み入れるのだと思うと、少し興奮してきた。飛行機は徐々に高度を下げていく。そして、ドーハ国際空港に到着。間もなく、ターミナルビルに向かうバスに乗り込む。午前五時にもかかわらず、既に気温は三十度を超えていて、降りた瞬間むわっとした熱気が伝わってくる。生ぬるい風が吹く。ターミナルビルに入った瞬間、ありえないくらいに冷房が効いていることにも気づいた。一瞬で風邪をひきそう。アンマン行きまで七時間近くあるが、とりあえずドーハの市内見学は帰りにするとして、空港ビルの中で待機する。ドーハから中東をはじめとする世界各地への便が出ている。確かに、カタール航空を利用したら、今までアクセスしづらかった場所に行きやすくなるので、結構助かるかもしれない。
 ドーハの空港は、思っていたよりも近代的だった。さすがに眠かったので、休憩室のようなところでソファーに座って眠る。少し薄暗くて、冷房も効きすぎていなくて、ソファーがあって、無料で眠れるような感じだったので、助かった。ちなみに、その隣にはなんとまあ、「お祈り部屋」があった。Prayer's Room。そこでお祈りしている人も多かった。更に言えば、いわゆる白色のアラブ服を着ている人も多く、洗面所で手だけではなく、洗面台に足まで乗せて洗っていて、手足を清めてお祈りしてた。おかげさまで、洗面所の床はそこら中水浸しになっていた。
 無料のインターネットをしたり、免税店をのぞいたり、空港の人たちを観察したり、色々しているうちに搭乗時間になった。アンマン行きに乗り込む。飛行機は飛び立つと、ひたすら荒涼とした台地の上を飛ぶ。
 機内でネットの掲示板を見てメールをくれた女性、ユキコさんにばったり出会う。ネットの掲示板で、私がこんなスケジュールでヨルダンやイスラエルに行きます、なんて書き込みをしたら「私も行きは同じ飛行機なんですよ」なんてメールをもらったので、こういう服装で旅行しているので、もしも見かけたら声かけてください、なんて返信をしたおいた、その女性である。こういうパターンは初めてだった。メールの文面から醸し出す雰囲気から、関空出発時からずっとどの人かなあ、と思っていて、ついに出会えた。こういう出会い、っていうのもいいものですね。
 アンマンの空港に到着。クイーンアリア国際空港。名前が素敵。ドーハの空港とはうってかわって、意外と質素で地味な感じである。入国審査時に、その場で14日間有効のビザが下りた。ビザといっても、パスポートにスタンプが押されるだけなので、特に申請したわけでもないので、あまりビザという感じでもなかった。荷物を引き取って、先ほどの彼女と、その彼女が途中で知り合ったという夫妻で一緒にタクシーをシェアして市街地に向かうことにした。夫婦で休みを取って、世界各地を旅行しているようで、なかなか羨ましい。ちなみにさっきドーハで、その三人は一緒に駆け足で市内を見て回ったらしい。アンマンの市街地に近づくと、どことなく混沌とした感じがして、更に起伏が多かった。泊まる宿がそれぞれ違ったので、集合時間を決めて一緒に夕食をとる約束をしていったん別れる。今は、イスラムの世界ではラマダン(断食)の季節。一月間日が出ている間は飲食をしないで、その苦しみを味わい修行して、一歩でも神の領域に近づく、というものらしい。とはいっても、日没後はかなり大量に食事を取る。一日一食だけ馬鹿食いするのは、健康によくないし、かえって太ると思う。本当は一日三食、太りにくい食材を規則正しく食べて、きちんと運動したほうが健康にはいいはずだけど、まあ別に健康のためにやっているわけでも、ダイエットの為にやっているわけでもない。宗教観の薄い日本人には、あまり理解できない習慣なのかもしれない。空腹のためか、日が暮れた瞬間に一秒でも早く食べたい為か、夕暮れ時には車の運転が非常に乱暴になって、危険だった。時間が来ると、礼拝を知らせる「アザーン」がスピーカーから大音量で流れる。モスクのミナレットが緑色に美しく輝く。総菜屋と思われるお店では、夕暮れ時に大量のおかずを買い求める人たちで賑わっていた。日が暮れた瞬間に、お祭りのような騒ぎになるのであろう。
 ユキコさんとK夫妻と私の合計四人で近くのレストランに入る。何気に私だけがヨルダンに来るのが初めてであった。ヨーグルトっぽいスープと、羊肉と、サフランライス、ナスのペースト、ホブスと呼ばれる平べったいパン、などが出された。さすがに皆さん、ヨルダンやイスラエル辺りに行く人たちとなってくると、本当に世界中あちこちを旅している人が多くて、四人とも社会人だったけど、休みのたびにどこかに旅しているような感じなので、ずっとそんな話で盛り上がった。レストランの人達と記念撮影をして、みんなと別れる。三人は、明日の朝一番にイスラエルに向かうという。私は初めての中東だし、疲れていたので、翌日のイスラエル行きはさすがにきつかったので控えた。ちょっと寂しかったけど、まあ意外と狭い世界のこと、またばったりと街中で出会えることでしょう。
 今晩の宿泊先はあの有名なクリフホテル。数日前にがんばって、国際電話で予約を取った。あのかつてイラクで人質になった三人組や、命を落とした香田証生氏が泊まったホテルとして、有名であり、バックパッカーの間でも有名である。その宿の使用人である、サーマル氏がものすごい旅人に対して親切で、その人気で持っているような部分もあるけど。そのサーマル氏が十月頭より、近くのマンスールホテルに移籍するという。と同時に、そのホテルが「コーダホテル」と改名される。由来は、勿論…である。
 マンスールホテルに寄ってみる。アリ氏というオーナーがいて、結構親切な人だった。クリフホテルよりも、マンスールホテルの方が賑わっている感じであった。そこでうまい具合に、明日の夕方に死海向けのタクシーをチャーターするメンバーが四人集まった。となると、明日の午前中はアンマン市内を観光するとして、明後日の朝一番でエルサレムに向けて出発して、エルサレムからアンマンに戻って、ペトラを観光してアンマンに戻る、という一連の流れが一気につながった。実際に、エルサレムからペトラまで一日がかりで移動したという人にも出会えたし、色々と必要な情報も集まった。ヨルダンあたりを旅行していると、出会う旅人もそれなりにちゃんとした人が多いので、助かる。お互いに気を使うことができるというか、大人で紳士な人が多かった。
 とりあえず、明日の集合時間と場所を決めて、クリフホテルに戻る。さすがに長時間の移動で疲れていたので、すぐに眠りについた。。。