トルコでの再会 1 〜サフランボルにて〜

 以前ブログにも書いた、ビックリするような再会の第一弾のお話です。

 トルコにサフランボルという町があります。世界遺産の小さな町で、別名「トルコの倉敷」と呼ばれている街。かなり坂道が多いのですが、街の中心に関しては端から端まで15分程度、という小さな町です。

 可愛くて小さな町のせいか、街中で見かけた日本人は、どちらかといえば女性が多かったです。「バストンジュ」という宿に泊まったのですが、日本人が多くて有名な所です。日本語が話せる若いママもいます。

 夕暮れ時、ふと入ったローカルなレストラン。観光客向け、というよりは地元の食堂といった感じのお店。丁度日本人女性が先にいて、知り合いというわけではなかったけど、流れで相席することに。

 そのうちの一人の女性に、
 「もしかして、以前南米のウユニに行かれていたことありませんでしたっけ?」

 「ええ、ありますよ。」

 「いつごろですか?」

 「去年の二月頃だけど。」

 何でこの女性こんなこと聞くのだろうか。。。と思う。

 うん、そういえば、その時に会った女性に似ているような。。。卒業旅行できていた二人組の内の一人。髪型は少し変えてあるけど、喋り方、声、ほくろの位置。うん、もしかして。。。あの時に会った女性では。。。

 「え、、、もしかしてあの時の。。。」

 「あ〜〜〜、やっぱりそうなんですね。」

 確かペルーのウロス島ツアーで一緒で、その後一緒にボリビアとの国境越えをして、ラパスで別れて、最後の最後でウユニ塩湖で再会した。

 せっかくだからと、別れる時にメールアドレスを聞いたと思ったけど、そのまま聞くだけ聞いておいてほったらかし状態だったと思う。

 どうも、そのときしていた緑のリュックが、キーワードだったみたい。よく覚えていたなあ。

 「緑が読んだ縁」

 かもしれない。

 でも冷静に考えてみれば、ボリビアのときとサフランボルのときと、殆ど同じ服装。

●緑色のウィンドブレーカー
 (これもよく考えたら十年以上愛用している)

●緑色のリュック
 (アルゼンチンで買った)

●黒いチノパン
 (ユニクロです、値段の割りに使いやすい)

●緑のストライプのアディダスのスニーカー
 (2002年のワールドカップのボランティアしたときに買った)

●緑の腕時計・G-Shock(Baby-G)
 (Baby-Gは本来女性向けだけど、知らずに軽井沢で衝動買いした)

 確実に違っていたのは、緑のポロシャツと黒の薄手のジャケット。この二つはウユニの時点では持っていなかったので。

 結構旅行しているときって、割と同じ服装かも。これが暑い時期とかだったら、黒のデニムの短パンとか多いし。

 一年半のときを経て、彼女は立派な社会人二年目。大手の銀行の地元(千葉県)の支店で働いているらしい。頼みますよ、そこの銀行は幼稚園の頃から口座持っていた、一番のメインバンクなので。

 南米で出会い、その後一年半以上、日本では全く会う機会も無く、トルコの小さな町で再会。どれくらいの確率でしょうか。

 こういうことってありますか? まさしく旅が呼んだ奇跡。

 ちなみに、彼女とはその後イスタンブールでも再会。同じ宿に泊まっていた、というか元々そこの宿に泊まるよ、と伝えておいてはいたけど。

 最後に、ちょっと長いですが当時の旅行記がありました。確かにちょこっとだけ出演(!?)しています。

ウロス島ボリビア国境越え〜ラパス
http://d.hatena.ne.jp/miyatan/20070220

★ウユニ塩湖
http://d.hatena.ne.jp/miyatan/20070223

 もう一つ、当の本人のブログ(の一部)を掲載します。一応、きちんと本人の了解は取ってあります。





そうそう、今回、キセキの再会を果たしました!笑

サフランボルの築300年という宿で

南米に行った時にチョコチョコすれ違った方にそっくりな方が・・

「あれ??なんか見たことある。。ミドリのリュック。。ミドリのジャンパー。。」と思っていたのですが

その後ご飯をたべてると彼がふらりと入ってきたので

声をかけるとやっぱりその時の方でした!

いやー、連絡先とか知らなかったし

当時から社会人な方だったので、休みは南米の時も今回も1週間くらい。

まさかトルコのサフランボルでばったり会うとは。

どんな確率!?

時計までミドリという洗練されたミドリのトレードマークがなかったら気が付かなかったかもしれないけど、

びっくりしすぎました。