トルコでの再会 2 〜カッパドキアにて〜

 前回に続いて、今回も再会のお話。そりゃまあ一年半ぶりの再会にも驚きましたけど、同じくらい驚くことがあった。

 カッパドキア。不思議な岩石群が並び、その数々の岩をくりぬいて地下都市や教会が作られている不思議な場所。トルコ観光の最大のハイライトでもあり、世界遺産でもある。ここで実際に起こった驚きの体験。

 トラベラーズペンション、という宿に泊まっていた。バックパッカー御用達の宿で、日本人の宿泊客も多く、すっかり顔馴染みになっていた。

 カッパドキア二日目の朝。朝食を食べている時。その中で、カップルで旅行している二人がいた。そのうちの女性の方は、横浜の人らしいとそれとなく聞いていた。たまたま隣の席になったときに、本当に普通の世間話のつもりで何となく始まった会話。まさかその世間話から、驚きの事実が発覚するとは全く思わなかった。

 「横浜から来ているんですよね。横浜のどの辺なんですか?」

 「私戸塚区ですよ。」

 「そうなんですね。うちは隣の栄区ですよ。ご近所さんですね。」

 とまあ、ここまではどうでもいいような世間話。

 「そうなんですか。私の彼も同じ、栄区ですよ。I町」

 ん? え? I町って今言った? うちはK町で、I町っていったら、隣町ですよ、バス通りの反対側、実家から徒歩三分くらいの。しかも通っていた小学校、まさにI町にあるんですけど。。。

 そこでその彼が戻ってくる。でそこでわかったこと。

 実は同じI小学校出身でした。。。

 さらに驚きのことに、同じ学年でした。。

 まさか、トルコのカッパドキアでこんな事があるなんて。。。

 うちの小学校、というか横浜市の公立小学校が全部そうなのか、全国の小学校が全部そうなのかは知らないけど、クラス替えが三回あって、一〜二年、三〜四年、五〜六年と。残念ながら同じクラスになったことはなかったけど。

 お互いに名前を聞いて、なんとなくお互いにうる覚えで、いたような記憶がある、と言う感じだったけど、それでもビックリ。

 私の家から歩いて一分くらいに幼稚園上がる前から家族ぐるみで付き合いが逢った幼馴染のような感じの人がいて、その人と六年間同じクラスだったみたい。

 二人とも仕事を辞めて、一年がかりで世界旅行をしているとの事。

 その日、グリーンツアーというツアーに参加。ウフララ渓谷とか散歩しながら、何とか彼のことを思い出そうと必死に記憶を辿る。

 と思いつつも、小学校の同級生ということは、日光への修学旅行も、青梅への林間学校も、六国峠の遠足も、野島公園の遠足も、同じ日、同じ瞬間に体験しているんだなあ、と思いにふける。

 その日は、なぜか三人揃って、緑色の上着

 まさに緑が読んだ縁。

 まだまだ旅行は続けるとの事。ホント、これから先の旅の無事を祈っています。

 とまあ、話はここで終わりでなく、少し続きます。

 実は昨日、土曜日から横浜に戻っている。月曜が東京の事務所で仕事なので、土曜日のうちに移動しておいてというわけ。親にトルコ土産を渡して、現地で取った写真を見せた。

 さすがにうちの母親も、その話を聞くと驚いていた。うちの母親も、何となく彼のことは記憶に残っていたみたい。

 そして、そのときカッパドキアの宿のお姉さまにゼッタイにやるだろうといわれた事をやりました。まさに、小学校時代の卒業アルバム掘り起こし。最初彼の苗字聞いた時、その苗字の男性同学年に二人いた記憶があるので、少し混乱していた。

 写真見て、確かに覚えていました。直接の関わりは余りなかったと思うけど。それでもたかだか一学年百人ちょっと、何となく彼のことは知っていたような気がした。

 しかし、かなり別人ですね。。。

 今の彼が、メガネをかけていて、髪形が坊主に近い状態にあるということもあるけど。それでも、やや肌の色が濃かったのは、今も昔も一緒みたいだけど。

 ついでに、住所を頼りに家の目の前まで行っちゃいました。ちょっと、というかこれが女性だったら、かなりストーカーかも。今の大人の足で、歩いて五分くらいでした。

 残念ながら我が母校のI小学校は、児童数の減少で2006年に31年の歴史を閉じ閉校となり、新しく隣のY小学校と合併して、K小学校として生まれ変わっています。まあ最も隣に合ったのがK中学校だし、元々とこの辺り一帯はK郷町だったしね。

 ついでに、小学校のアルバムを見たついでに。

 今改めて写真見ると、かなり当時の面影が今の自分に残っている気がする。昔から、余り顔変わっていないかも。

 例によって、小学校のアルバムって言うとやっぱりあるじゃないですか、将来の夢、と言うコーナーが。男の子は、スポーツ選手とか、今の趣味の延長を書いている人が多くて、一方で女の子は、現実的な夢が多くてね。

 なんか、小学校卒業する時の自分が何かいたのか全然覚えていなくて、今改めてみて、ビックリしました。今は全く別の道に入るけど、当時はこんなことを書いていたのかなって。

 さて、ここで問題。私の小学校時代の夢はなんて書いてあったのでしょうか。もしも興味があったら、考えてみてください。答えはブログの下のほうに書いてあります。


























































 「内閣総理大臣

 だって。(笑)

 なんか、可愛くないというか。

 まあ、唯一当たっているのは、大学が政治学科、だったということ。

 今は、政治とは全く関係のない仕事をしているけどね。

 三つ子の魂百まで、というか、やりたいことや夢はその時々によって変わることがあっても、根本的に流れているものは変わらないのですよね。本当にそう思いました。

 100%そのとおりに慣れなくても、少しでも近づければいいよね、理想の自分にね。